石坂啓さんのインタビュー記事が東京新聞の夕刊に掲載されていました。


東京新聞 2007/3/30夕刊 『あの人に迫る 今はもう戦争中 その先の想像を』



070330東京新聞夕刊1


070330東京新聞夕刊2


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石坂さんは、すでに時代は折り返して、戦時中なのだ、とおっしゃっています。

(強調は引用者によります)


【略】

今からだったら私は子どもを産まない。

今、うちの息子は16歳ですが、彼が選挙権を持つ前におそらく憲法は変えられるだろうと思います。

子どもが小さい頃、わが家には子どもの友達が多く出入りしていました

これまではその子どもたちに胸を張って言うことができましたよ。

「この国は戦争をしない」って。

【略】

今、岐路にあるとか、曲がり角にあるとは思っていない。もう角を曲がりきってしまいまった。

今から元のベクトルに戻すには、どうしたらいいのか、思い浮かばないこの流れ、勢いは、ものすごくて、五年前にはなかったものです。

【略】

要は大人がちゃんと考えながら生きているかということなんです。えらそうに説教するつもりはないんですが、自分が幸せかどうか。何が楽しいのか。何に腹を立てているのか。自分の感性を研ぎ澄ませてほしい。

【略】

大人は、子どもたちに「大人になるのはそう悪くはない」と言えるようであってほしい。

ちゃんとした大人がいたら、子どもも代わる。人がつらかったり死んでいったりすることに全く関心ない大人って言うのはやっぱり嫌ですよね。

【以下略】

石坂啓さんの『赤ちゃんが来た』というエッセイは、当時、まだ良識を少しは信じられた朝日新聞で、うちの息子が生まれる前に連載されていたものなので、親近感を持って拝読していたことを覚えています。


石坂さん、わたしも時代がこんなことになるとは、あの頃は想像すらしませんでした。


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今日、教育三法が閣議で決定されました。

当初、あの塩崎氏も伊吹氏も「間に合わない」と官邸に進言したにもかかわらず。


 四国新聞 2007/3/30 学校教育法など閣議決定/義務教育目標に「愛国心」


検定教科書から、沖縄での、日本軍が強制した集団自決に関する削除が一斉に行われました。


 asahi.com 沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定 2007年03月30日19時30分

 東京新聞 2007/3/30(共同) 「軍が強制」に検定意見 高校教科書、発展は増加

 

当面の事情かなにかがあって、当時の軍の誤謬なきことを示したいがために、人権も感情も生きる根源も、偏向の回避などおためごかしにを持ち出して、集団で行われた殺戮を否定できるなんて、本来の民主主義国家のありかたを外れています。


さらにこれが現在のGDP世界2位という国際影響力を持つ立場からなされているという異常さ、極悪非道国家と断罪されてやむなきことだとすら感じられて、ええ、自虐的にならないでいられません。


本当に、こんな時代に生まれてきてしまった子どもたちに、大人として謝罪しなくてはならないと思う。

わたし達は、バブル時代とその後の失われた時代に、いかに(意識しなかったとはいえ)無自覚に暮らしてしまったかと。


多少享楽的に過ごしたことが悪いのではなく、楽しんだ分を埋め戻すような熟考をしてこなかったかもしれないことを、今になってどう取り戻してよいのか、「今から元のベクトルに戻すには、どうしたらいいのか」、それがわたしにもまったく思い浮かびません。


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3/31昼ごろ追記 最近この時期恒例となってしまったニュースから。


集団自決否定が象徴するように「地方」は切り捨てられ、そしてこのように「中央」は統制を強いられます。

(強調は引用者によります)



西日本新聞 君が代不起立で35人処分 都教委、春の卒業式で

 東京都教育委員会は30日、3月に行われた公立学校の卒業式で校長の職務命令に従わず、君が代斉唱時に起立をしなかったなどとして教職員35人を懲戒処分とした。

 都教委によると、処分は停職6月と3月、1月がそれぞれ1人、減給が12人、戒告が20人。うち戒告の2人は定年などに伴う再雇用選考の合格が取り消された。学校別では都立高校が28人、養護学校5人、公立中が2人。

 都教委は2003年10月、国旗に向かい国歌を起立斉唱しなかった場合は懲戒処分にするとの通達を出し懲戒処分を受けた教職員は延べ381人となった

 処分された教員らでつくる団体は30日、「職務命令を根拠に処分を振りかざし、教職員や生徒に『日の丸・君が代』を強制する教育破壊の暴挙だ。入学式を目前にした見せしめでもある」との抗議声明を出した。

2007年03月30日18時13分

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昨日、残業の後に深夜帰宅して、仕事の続きの前に自分で書いたコメント、それを後で読んだら、いかにTBが通らないかを繰り返ししつこく書いていて、思わず苦笑しました(当然、酔っ払っていたわけではないのですが、最大眠かった時間帯でした)。

2台のPCに向かって気分転換に、ネットにつないでいる自分のブログならよいかと書いたものでした(汗)


そんな年度末の追い込みもある程度の目処が立ち、予想内予想外の対応はあるから睡眠時間は増えないけど予測はつくようになりそうです。なので、今日はつらつらとものを考えたいと思います。


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石坂さんのことから、近未来を描いた漫画の連載を子どもの頃いくつも読んだことを思い出しました。

そこで今の状況を考えて見ます。


たとえば、わたし達は2XXX年、メガロポリスの100階建ての高層マンションに住んでいるものとします。


あるとき、超高層マンションの理事会の規約を「少しだけ切り替える」ために、総会が開かれるという議題が、6ポイントくらいの文字で印刷された、小さなサイズの案内状が送られてきたとします。


その案内状には、「理事の権限を一部変更するための投票を行います」とあります。

多数決で決定するので、できるだけ多くの方のご参加を、委任状を出してくださってもよいです、とあります。


「欠席、無回答、または白紙委任の場合、理事に委任したものとみまします」という文字列がまたも6ポイントで記載されています。


投票という言葉に、期待と不安をもったわたし達は、総会に出席して真意を確認しなくては、とずっと考えています。


しかし、その総会の当日になるまで、どんな権限の変更なのかはつまびらかにされません。

理事の方にたまたま出会って尋ねてもても「まあ、小さな変更ですからお時間があれば」とにこやかに返されるばかりです。


その頃、なぜか毎日、メガロポリスの湾岸に設けられた発電所の事故がいちどきに公表されます。

なぜか、毎日、猟奇的な事件や、企業の不祥事が立て続けに公表されます。

そのことをTVや新聞や、「承認された」ウェブサイトで見ているうちに、総会のことは忘れています。


そして、総会の当日、2XXX年のわたし達が居住していた90階のフロアから2階の集会ホールに集ま投票に臨もううとしたら、なぜか朝から10年ぶりの断水が発生し、家中はおおわらわで、さらに廊下に出たら、すべてのエレベータが、原因不明の「故障」で緊急停止しています。


集会の時間は迫っています。


でも、いくらなんでも88階分も階段を下りたり上がったりするわけにはいかないよね、それに小さな決議だから、と、2XXX年のわたし達は、出席を早々に取りやめて、その2時間を、家族と静かにお茶飲んだり、音楽を聴いたりして過ごします。


まさか、その集会で、(事前に情報を知り、地上付近に下りていた人々により)生命に関わる決定がなされているとは、いっさい気づかないままに。


翌年、災害が起こり、わたし達は二度と地上に下りることなどできなくなりました。

為政者は自助努力をうそぶき、救助の手が差し伸べられることもないという状態、それはすでにその前年、不思議なカミカゼ的なハプニングで、権限委譲された理事と為政者の間で取り交わされた決め事だったのだそうです。


国民投票法の危険性はこのように例えても行きすぎではないように思っています。


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