東京にむかう機上で、ようやくひとりぼっちになって、叔母さんの死を悼んだ。


ひとつきに一度の東京へ帰る時間。
東京から離れがたくて、夫が約束してくれたこの時間が不必要になるほど、私にとって猫の存在は大きくなった。生きているものの温度と柔らかさは私を何よりも癒してくれている。この子達は普通に私が生きていれば先立つものだと思うと、その時間が永遠に来ないことを祈ってしまう。

けれど、叔母の看取りをしたときは、自分は驚くほど冷静でいた。
老いての死というのはとても自然なことなのだと感じた。叔母は存分に生きた。肺炎に何度もなり、大変な苦しみを何度も経験しても、元来の丈夫な体が逝くことを許さなかった。

叔母は意識があったろうから、肺炎になる度にあの苦しみをまた味わうのか、と思ったろう。
それとも一度ずつ、脳の病が忘れさせてくれていただろうか。

肺炎になるたび、神様はこんなに苦しんでいても連れていってくれないのか、と思った。しかし彼女は何度も死の淵から戻って笑顔を見せてくれた。今度もまた苦しんでいる姿を見ながら、十分すぎるのではないか、と私は思っていた。死は怖いものではなく「その時」は仕方なく優しく慈愛に満ちて、やっとやっとやってきたのだ。
むしろ今の私の涙は、彼女の晩年の寂しく苦しい時間を思ってのことだ。そして冷たくなっていくおでこ、叔母さんの美しい入れ物が火に投じられた瞬間のこと、若く美しかった叔母が小さな私をなぜか「猫さん」と呼んで愛してくれていたことを、肌触りまで思い出して涙がこぼれた。

崖に咲く一本の花のような人生だったけれど、それを見た人たちは誰もがその凛とした生きざまを覚えていた。
逝ってなおさら汚されることなく、美しく咲き続ける花のような人生だった。
涙をこぼせたことで、ようやく叔母を送り出すことができた。

残された人たちに「仕方なかった」と思えるように生きられたらいいな、と思う。

私は病を得たけれど、叔母の死を通して経験したことは、私のこの病気の根源となる絡まった糸をほぐして解いた。叔母が最後に私に与えてくれた愛のひとつなのかもしれない。