11月2日。
父の姉にあたる叔母が誤嚥性肺炎を起こし、危篤となり、「今日か明日か」という診断が下った、と兄から連絡が来ました。
叔母には子供がいません。
私が養子になるという話も子供のころにあったと大人になってから父から聞きました。
小学生のころ、難しい顔をした父に「岡山の叔母さんのところで行儀見習いをしてきなさい。」と言われたときに、なんだか怖くなり「嫌だ。」と言ったのを憶えています。
あの時に、「うん、行くー!」とのんきに返事をしていたら、私は多分そのまま、叔母の家の子になっていたのかもしれません。
それ以来、父からはその話は一切出ませんでした。
叔母の旦那さんは20年以上前に他界し、お嫁に行った家の方とも認知が進み、特養に入り疎遠になったために、一番親密だった私たち兄弟が看取りという形になるのは、何となく予感していました。
叔母は岡山県。一番近い距離にいるのは私。
ちょうど連休中であったために、兄も来てくれることになりました。連休が終わったあとは私がずっとそばにいることになりました。
折悪しく、夫は出張中。
繰り上げて帰ってきてもらいましたが、猫がいるので家にいてもらうことに。
岡山は車社会。車がある方が便利。
一人で車を運転して山口から岡山へ行くことになりました。
その日の朝、もう数時間かも、と言われて、すごく焦っていました。
何せ私、一人で高速を長距離走ったことがありません。
でもコワイとか言ってられない〰️
トイレ休憩を一度取って、急いで岡山へ。
8年間住んでいたことのある岡山はすっかり変わっていて、市内でかなり迷い、病院へようやく到着しました。
(車のナビが古すぎて、市内で機能しないという恐怖。)
叔母さんはまだがんばってくれていました。
息がとても苦しそう。
到着した日は祝日だったために、先生には会えず。
間もなく兄医夫婦も来てくれて、その日の夜は岡山に泊ってくれました。
次の日も、変わらない状態。
担当の先生に状態を聞いたら、「今日か明日か」と。
えーっと。
それ、二日前に言ってたセリフと同じ。
そしてこの先生、この一言で去ってしまいました。
おいおい…。
この先生、ずっとこのセリフ言いそうだね、と兄医と苦笑しつつ、兄医の見立てを聞いてみると、今日の深夜っぽいと。
じゃあ、その前に出来ることしておこう、私一人になったら何もかも一人じゃ無理だから、ということになり、老人ホームと叔母の家に必要なものを取りに行きました。
老人ホームはまるで旅館のように綺麗で、叔母の部屋からは稲穂が黄金に光って見え、とてもいいところに暮らしていたのね、と安心しました。ホームの人もとても親切。
誤嚥する日まで、叔母はとても調子が良かったようで、楽しく暮らしていたそうです。
寂しそうにしてくださる職員さんたち。
叔母のよく使っていたものなどを預かり、次に叔母の家に行ったらば。
家の中に蟻塚が~
とても素敵な日本家屋だけれど、人が住まないってこうなるのね、というような惨状。
叔母が良く着ていた洋服、お着物、お茶の先生だったので、お茶道具などを持って帰りました。
叔母のもとに戻り、夜九時。とうとう兄も仕事のために帰らなくてはならない。
一人になってしまった…。
とりあえず状況が変わらなかったので、一旦ホテルに戻って、寝ようかな、としていたころ。
深夜1時、電話がとうとう鳴りました。
看護師さんから、状態が変わってきました、との連絡でした。
すぐに行きます、と駆け付けて。
「もうすぐだと思います。聞こえているはずですからお話ししてあげてください。」
と二人きりにしてくださいました。
人の最期に一人きりで立ち会うのは初めてではあったけれど、叔母も昼間のように苦しそうではなかったことで、穏やかな気持ちでいることができました。
よくがんばったね。
ずっと一人でさみしくさせてごめんね。
何も心配しなくていいからね。おうちもちゃんと片付けておくからね。
そしてずっと言いたかったこと。
「娘になってあげれなくて、ごめんなさい。」
これを言ったあと、何かがふっと変わり。
廊下を歩く看護師さんの足音が聞こえました。
ドアが開き、ああ、そうか。
「今、モニターで心拍が止まりました。」
先生がくるのを待って、死亡宣告を受けました。
私にも子供がいません。
家に行ったとき、ご近所の方に聞いた話では、私が娘になってくれるかもしれない話はとても嬉しそうに話していたとのこと。
そんなに楽しみにしてくれていたんだ。
とても、気持ちはわかる。
ごめんね。叔母さん。
しばらく看護師さんは二人きりにしてくれて。
冷たくなっていくおでこを撫で続けました。
葬儀屋さんの車を待っている間に、きれいに身支度を整えてもらえました。
叔母さん、良い看護師さんたちでよかったね。
エレベーターでは先生がいなかったので、「とてもいい看護師さんたちばかりで、最期をここで迎えられて良かったです。」と御礼を言って、静かに病院を離れました。
(続きます。)