年の瀬ですね。
一年が早過ぎて驚愕しています。
こないだ2022年のまとめをした気がする…と思って確認したけど、きっちり一年前でした。
当たり前体操!!!
今年も大切な仲間と作品が増えました。
《1月〜2月》
T‐works「三文姉妹」(東京・愛知・大阪・福岡)
《3月》
朗読Bar(3/8)
《4月》
朗読Bar(4/26)
《5月》
中之島春の文化祭 カヨコの大発明「Hey!Ho!Let it go!!」
《6月》
玉造小劇店「大阪芝居」〜旅館編〜
《7月》
百年フェス(山本香織&是常祐美 with丹下真寿美)
《8月》
朗読Bar(8/2)
《9月》
火曜日のゲキジョウ DOORプロデュース「陽だまりの鍵」
《10月》
虚空旅団「四T〜桜梅桃李〜」
《11〜12月》
玉造小劇店「お祝い」(東京・大阪)
そして映像作品に三本出演させていただきました。
どれもとても貴重な経験でした。
芝居って、いつまで経っても本っっっ当に簡単にならなくて、そのもどかしさで時々噴火しそうになりますが、それでも時々、昔よりはましになったなって思う瞬間があったり、良かったですってお声掛けいただけたり、あったかい分厚い拍手をいただいたり、すんごいウケた日があったりして、もうちょっとがんばってみようかな…って握った拳に力を込めたりするもので。
みなさまのおかげで今年も役者で居られました。
本当にありがとうございました。
来年も役者でい続けられるように、そしてもう少し先にある景色が見られるように、もがいてもがいてあがき続けようと思います。
また劇場で、また他の媒体で、お会いできますように。
その時、みなさまに楽しんでいただけるよう、これからも精進します!!!
そして私事ですが。
11月18日に、父が亡くなりました。
79歳でした。
玉造小劇店の最終稽古を終えて、明日は東京入りだーって荷造りしてて、ふとLINEを見たら、次姉から着信とメッセージが入ってました。
「ゆみー
お父さん、亡くなった」
すぐに姉に折り返して、玉造小劇店さんにご連絡して、移動日だった19日に実家に帰ることができました。高速バスで最寄りバス停まで行ったら、長姉が迎えに来てくれました。
いつもバスで帰ったら父が迎えに来てくれていました。
高速から降りて父の車がなかった時、ああ、本当に父は居なくなったんだと実感して、長姉の車の中でこっそり泣きました。
家に帰ると、父は寝ていた介護用ベッドにきっちりと寝かされていました。
寝てるみたいってほんまにあるんやと思いました。
それくらい、いつもと同じ寝顔でした。
でもびっくりするくらい冷たくて、息してなくて、ただいまーって行っても「おう、おかえり」って言わなくて、おしゃべりな人ではなかったけど、こんなに静かでもなかったやーん!って言ってみても答えなかった。
でも顔見て、しゃべって泣いて、冷たさを感じる事ができて、本当に良かった。
その日のうちには東京に入らないといけなかったので、お通夜も告別式も私は行けなかったけれど、一日早くても、一日遅くても、会いに来られなかった。
その唯一の日に父は旅立って、私にお別れを言わせてくれた。
ほんと言うと、もっと後が良かったけど、そうでないなら最善の日だった。
11月11日、稽古が休みになって、実家に帰りました。
https://ameblo.jp/garam1980/entry-12828297093.html
「がんばれよ」
「はいよーまた帰るねー」
という会話が最後になりました。
最初で最後のツーショットになる予感は、実は少しだけありました。
照れくさかったけど、撮っておいて本当に良かった。
「あれしてくれこれしてくれはよく言われたけど、痛いとかしんどいとか怖いとか、全然言わん人やったわ」と、介護していた母が言いました。
「近所にお知らせに回ったら、お父さんにあれしてもらって、とかあの時こんな世話になって、とかめっちゃ言われた」と姉から聞きました。
祖父に言われて仕方なく公務員になったけど、本当はブラジルでヒヨコの雄雌を分ける仕事がしたかった父。
毎日きっちり同じ時間に帰る父に母が「たまには会社の人たちとごはん食べてきてもええんやで」と言ったら、あとでこっそり私にだけ「そんなこと言うても待っとる人がおると思たらなぁ…」と呟いた父。
定年になったら急に弾けて狩猟にオカリナに川柳に老人大学にスポーツ吹き矢まで始めた父(吹き矢は指導員の資格取ったし支部長にもなってた)。
ランボーが好きでダンディズムに憧れて、でもいまいち格好がつかなかった父。
別にすごくしゃべるわけじゃなかったけど、居ないとやっぱり寂しいよ。
仕方がないからこれからは、私の中のお父さんと一緒にやっていくよ。
お父さんがもっとしたかったはずの好き勝手と、生きたかったはずの人生を、私は生きるよ。
朝ドラ出たらさ、見てよ、絶対。
がんばるからさ。
本当にお疲れ様でした。
お父さんの子どもで、幸せでした。
父の今年の正月の書き初めです。
今もまだ、リビングに飾ってあります。