新田次郎『この子の父は宇宙線』講談社を読了。


 1958年に講談社ロマンブックスで刊行されたもので長らく絶版状態にあったが、現在は電子書籍で刊行されているので、気軽に読むことができる。おかげでこの僕も読むことができたわけだけれど、やはり新田次郎にSF小説は無理だったかという印象にしかならなかった。いわゆるトンデモSF小説で、ある意味、栗田信の『発酵人間』に近い作品なのである。
 表題作の他に「反地球の人」「宇宙人」「夢号の墓場」を収録。
 表題作の「この子の父は宇宙線」は、月にむかった月面探検隊が、地球と月との中間地点で大量の宇宙線を浴びて記憶を失い、隊員の中にいた美貌の科学者が女王として探検隊に君臨するという物語。途中にある多国籍なメンバーにより運営されている人工衛星島でフリーセックスを楽しんだり、なかなかとんでもない作品である。
 「反地球の人」は、現在の地球とは異なる反地球との行き来ができる(と信じている?)物理マニアが、反地球の方が20年遅れていることを利用して、正地球から反地球にビニールを持ち込んで一攫千金を試みるのだが……という物語。手塚治虫のマンガにも、太陽の反対側にもうひとつの地球があるという設定の作品があったが、本作の反地球というのは異なる次元に存在するもうひとつの地球ということらしい。
 「宇宙人」は、愛するという概念を失ったために人口減少から絶滅の危機に瀕している宇宙人が、愛を知る地球人を自分の星に招いて愛をとりもどそうという話。なぜかそのために地球に来て映画を撮ったりしているのだけれど……。
 「夢号の墓場」は、月に向かう宇宙船が地球と月の引力の中性点を超えた瞬間に、方向性精神の逆転現象が発生して自分たちは地球に帰る途中であると認識するようになる。ところが宇宙船は月に向かっているので、あわてて進行方向を地球に向け直す。しかし、再び引力の中性点を超えると「自分たちは月に向かっているはずなのに、なぜか宇宙船は地球に向かっている!」ということで、再び進行方向を修正する。このため、地球から見るとなぜか宇宙船が1箇所で行ったり来たりを繰り返していることになってしまう……という物語。
 実は新田次郎は1955年に設立された「日本空飛ぶ円盤研究会」のメンバーとのことで、こうした小説を書く下地はあったのだろう。だが、一連の山岳小説に比べて、なんとも珍妙な小説であることは否めない。