40歳からのカート日誌 | kaitの父のブログ

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 今年初めての練習、ふと思い立って今日から日誌をつけることにした。

 日誌をつけるにあたって、今日日パソコンと云う便利なものを活用することにしたのだが、ブログと云う物のやり方が到底分かるはずもないと思い、暫くはワードに書き込んでいた。しかし、ページ数が徐々に増えて行き収集が付かなくなってきた。

 そこで記録を残す為にブログへの挑戦となったわけであるが、そもそも私の戯言など人様に読んでいただくようなものでもないので、どうしたものかと考えていると、非公開で記録を残せることを知り今こうして書き込んでいる次第である。

 しかしながら、ぬかるみに落ちたゴルフボールみたく、探しても分からないし気付かないように注意深くブログを綴っていこうとおもう。

 

 

 思い起こせばカートを始めて丸三年が経とうとしている。たしか記憶では40歳の誕生日を迎え、(ちなみに誕生日はバレンタイデーの次の日であるが、この次の日が曲者で常にプレゼントが一括になってしまうので損した気分になる)3月か4月に中古のラカマを買ったのが始まりだった。

 エンジンはパンサー、シティカートのシェイクダウンでいきなり左肋骨にヒビを入れ一月休憩。この時は走り終えてから「何か痛いな」くらいにしか思っておらず、次に乗ったときにGが掛かると痛くて乗れないことに気づいたが、何で痛いのか分からなかった。当然そのまま医者にも行かず一月くらいで治ったが、治ってからもヒビが入っていたとは思いもしなかった。

 

 そして新東京の初走行で右肋骨にヒビを入れ、またまた一月休憩、この時も原因不明の痛みだと思っていたが、医者嫌いの私もさすがにしばらくしてから医者に行くことにした。すると、「折れていますね」とあっさり言われ、「よかったですねえ、反対側(左)は治りかけていますよ」と思いもしない台詞を吐かれて、あの時の痛みの原因が判明したしだいである。少し間はあったが都合三ヶ月以上の休憩だったと思う。だが骨折と気づいてない時は我慢してちょくちょく乗ってはいたのだが。


実際この間に一緒に始めていた190君が早くなって、自分のセンスの無さをつくづく感じ、走れないもどかしさと、センス云々の以前にカートと言う乗り物は自分の体に合ってないのではないか?などと考えたりしたこともあった。一応四輪レースでは結果を残しており、若いころは2輪のレースも経験していた自分の自信がへし折られた。・・・・・・・


今思うに、カートの動きと自分の動きが会っていなかったのだと思われる。自分の意思とは違う動きをカートがしていたので、曲がりたくないところで突然曲がったり、曲がりたいのに曲がれないで無理にハンドルをこじったりの連続だった。しかもスピードには慣れていたし、それ程スピンをしていた記憶もない。初めてにしてはわりとまともに走れていたと思う、それが仇になったのではないだろうか、かえってスピンをしたほうが体の負担は少ないはずで、それでもっていきなりパンサーである、骨もひびが入るわけだ。


そんな感じでカートを初め、今ではそこそこ普通に乗れるようになっているが、実力的にはまだまだで、カートは思った以上に奥の深いスポーツだと最近は思っている。


今はKAITの方に力を入れてはいるが、私もまだまだ降りるつもりはないので、いつまで続くか分からないが、この日誌も将来、誰が目にしても良いようにコラム風に綴っていこうと思う。