ハロウィンの悲劇 | 我楽多車庫(ガレージガラクタ)

我楽多車庫(ガレージガラクタ)

昔国産車ディーラー勤め、現在は自営業主です。

今年もハロウィンの時期がやってきました。

 

ハロウィンって何?

 

簡単に言うと、

 

西洋のお盆

 

みたいなもの。

 

この時期になると思い出す事件があります。

 

31年前、アメリカに留学していた高校生がハロウィンのパーティーに行く際に間違って別の家のベルを鳴らしてしまいました。

 

ハロウィンということもあり仮装していた二人組が突然やってきたことで、家主は強盗だと思って銃を向けました。

 

「フリーズ!」

 

それは動くなということなのですが、

 

「プリーズ」

 

と聞き間違えた高校生は中に入ろうとして撃たれてしまい命を落としました。

 

当初家主は、

 

「強盗が来たと思い恐怖で防衛のため引き金を引いた」

 

と証言して世論もそれに同調するような動きがありましたが、

 

それにしてはマグナム44という防衛としては明らかに過剰で強力な殺傷能力がある銃を向けていること、(撃たれたらお腹に大穴が開くほど)さらに銃のマニアでたくさんの銃を持っていた中からそれを持ち出していったことなどから過剰な防衛であると司法により判断され、損害賠償を命ぜられました。

 

しかしながらそれは払われずに終わってしまったという話を聞きました。

 

ガンマニアでコレクターの家主は、いつか人を撃ちたいという欲求があったとも伝えられています。

 

だから高校生がやってきたときこれはチャンスだと思ったのかもしれません。

 

この事件を聞いて僕はアメリカの悪しき銃社会とフリーズという言葉を初めて知ったのでした。

 

まだ16歳だった高校生の未来は自由の国と言われるアメリカで奪われたのでした。

 

さて。

 

『いつかどうかしてやる』

 

と、その悪事の機会を常に窺っている人って間違いなく存在します。

 

『いつか盗んでやろう』

 

とか、

 

『隙ができたら仕掛けてやろう』

 

とか。

 

死んだうちの母がそういう人間でした。

 

生まれた時から誰かにやられたことや悔しかったこと、それを他の誰かに返す機会を常に窺っていました。

 

他の誰かというのは息子である僕と母の弟である叔父でした。

 

これは何度かお話ししていますが、

 

ある日母が、

 

「ケーキがあるから食べなさい」

(良かったら食べてではなく命令です)

 

と言ってきました。

 

「あぁ、ありがとう」

「いつの間に買って来たの?」

 

と訊いた途端、すごい勢いで怒鳴りつけて突然キレました。

 

「オマエは、私が古いものを食べさせようとしたというのかあっ!」

 

「はぁ?」

「いつそんなこと言ったよ!」

 

「そのケーキ忙しいのにいつの間に買いに行ったのかと訊いただけでしょ?」

 

「この野郎、クソ野郎、キサマは〇×△・・・」

母は止まらずずっと罵声を浴びせ続けています。

 

まったく意味が分かりません。

 

「いやいや、なんでそんなことになるのか」

「いったい誰がそんなこと言いだした?」

 

と訊いたところ、

 

「Aが・・・」

 

とポツリと言いました。

 

「はぁ?」

「いつのことだよ!」

 

「30年前・・・」

「私がケーキを買っていったら子供のくせにAが、『そんないつ買ったのかわからないものなんて食うか!』と言ってきた」

「だからオマエもそうなんだろ!」

 

「はぁ?」

「30年前に悔しい思いをしたことを今俺に八つ当たりするのか?」

 

「なんだそれ!」

 

「俺はAじゃないしそもそも古いものをとかそんなこと言ってないだろうが。」

 

「わかった、30年間ずっと忘れないほど腹が立っているなら今Aに電話してやるから本人に文句言えよ!」

 

「あ?かけるぞ?」

 

そう言うと母は黙ってしまいました。

 

たぶん僕に怒鳴りつけることができたので、その恨みは成仏したのでしょう。

 

Aというのは当時母が働いていた会社の社長の息子で、その時は立場上文句も言えなく我慢したのだと思います。

 

だからと言って僕が責められる理由にはなりません。

しかも30年後に・・・

 

会社辞めた時に本人に文句言えばよかったじゃないか。

 

そもそも母がやることのすべてが僕や叔父に対して攻撃するきっかけなので、本来はそんなトラップケーキなど食べたくもありませんが、言い方からして強制ですし食べないと怒鳴り散らすので皆仕方なく食べるのです。

 

どちらに転んでも結局攻撃してくるので、はっきり言っていなくなって欲しいと思っていました。

 

ちなみに僕は母を攻撃する機会など窺ってもいませんでした。

 

気にしていないとか許しているのではなく、一度命をあっという間に奪うくらいでは気持ちが晴れないからなのです。

 

散々苦しんでから、そしてまた生き返ってを30回ぐらい繰り返してもらわないと気が済まない。

それって無理なことだからやらなかっただけ。

 

そして、母は僕の子供にすら手をかける可能性もありました。

 

僕を苦しめたいのならば、そっちの方が効果的だとわかっていたから。

 

だからもしもそういうことをしたならばお前の命もいただくという態度を僕が常に取り続けることでそれを阻止していました。

 

あまりに異常な親子関係というか母だけが異常者であり、そういう輩がこの世の中にはいるのです。

 

たまたまそういう人に逢ってしまうと悲惨な結果になることもある。

 

うちは常にそいつがいましたから。

 

母のもとで働いていた叔父のことを考えると無念さが募ります。

 

僕も、もはや仕返しする相手がいないため恨んでもどうしようもなくその思いは晴れないままです。

 

母がいないので直接新たな攻撃をしてくる心配や警戒はなくなりましたが、

 

時折、

 

「母と仕事をただでやってくれる約束をした」

 

というお客様から連絡が入ったりして突然の出費が増えることがあるということや、発覚していなかった問題が沸き上がるとかまだまだ見かけの借金や負債問題のみならず母の仕込んでいった知られざるマイナスが残っているのです。

 

本当にそういうクズが世の中にはいます。

 

銃で高校生を撃った家主とは面識もないのでそうだとは言い切れませんが、銃撃のチャンスをうかがっていたという話は間違いないようですから、それってむしろ母よりもひどいですよね。