
フリージア
両親が好きだった花です。
少し早いですがお雛様を飾りました。
先日、母の49日忌の法要を済ませました。
昨年12月10日(日)の朝、弟が2階から降りてくると母が倒れていました。
すぐに救急車を呼びましたが、意識が無く高齢な為か搬送先が見つからず、20分近く停車。
弟が何回も呼び掛け保険証の場所を聞いたところ、やっと少し意識回復し、病院に運ばれ検査すると、肺が真っ白でした。
連絡を受け集中治療室に駆けつけると、酸素マスクの母は絡んでいたタンを取って貰い、呼吸が少し楽になって、周りに気遣いをみせるほど落ち着いたので、ほっとしました。
翌日の午後に酸素マスクの機械が大きいので個室に移りました。
母と二人の時、
母『もうあっちに行ってもいいかい?』
私『えっ?お母さん苦しいの?辛いの?』
すると、左腕を真っ直ぐ伸ばし、白い壁を指差し、
母『お父さんがいる…』
私『えっ?!』

その後、話しかけると、うなずいたりはするものの、また昏睡状態が続き、水曜日に今夜が峠かも…と先生に言われ、いつもは一人の付き添いを、特別に3人で許可して貰い、母の耳元に各々の思い出を語りかけた所、翌日、呼吸もモニターの数字も嘘の様に安定し、先生も首を傾げるほどに回復。
きっと母さんは『何を泣きながら話してるんだい?私はまだまだ死なないよ』と笑ってるかもねと話しました。
妹に付き添いを頼み、弟と私は仕事に行き、週末にまた行くつもりでいたら、金曜の夜に容体が急変、私は最期に間に合わなかったけど、母は穏やかな顔でした。
間質性肺炎でした。
写真は、姪っ子(妹の長女)の結婚式の時、私の長男の一眼レフカメラで、ひ孫のS君が連写した、母の自然な笑顔に決めました。
母の生前からの希望通り、葬儀は親族のみで行いました。
叔父(母の弟)は、『姉さんは母親代わりに遠足にもついてきてくれたり面倒見てくれたけど怒ると怖かったんだぁ』
私が子供の頃も、父より母の方が怖かったかなぁ?いつから、小さい可愛い母になったんだろう…
通夜の後、係りの方の案内を制止して、親族に向かい、ご住職が『○子さん(母)は、60年以上前、幼い弟達がいる○○家に嫁いでこられ、今まで家を守り一生懸命頑張ってこられました』と話され思わず涙…
戒名に、名前の一字以外に『温』の字が入っていたことにも感動しました。
倒れる前日まで、いつものようにバックを背負って元気に歩いて買い物していた母が、あっという間に逝ってしまい、今になって思うことは、一週間に一度と言わず、もっと電話して母と話せば良かった。
今年88歳になる米寿の祝いを去年みんなでやってあげれば良かった。
20年前の箱根以来の温泉に、もっと連れて行ってあげれば良かった。
でもきっと今頃は、30年ぶりに会った父さんと2人で、孫や曾孫の所へ飛び回っているのかな?
私も弟の真似をして、
母さん、私を生んでくれてありがとう。
大晦日、年忘れにっぽんの歌の方が知ってる歌、懐かしい歌が多いなぁと、口ずさみながら年越し蕎麦の準備をし、
午後10時からは紅白歌合戦、感動した2組
エレファントカシマシ『今宵の月のように』
大切な自分の歌を真摯に一生懸命届けようとする気持ちが伝わる素晴らしい歌唱でした。
Superfly『愛をこめて花束を』
マイク一本、溢れる声量でほんと、心をこめた歌声に思わず涙が

実力あるこの2組を見ただけでも、十分に紅白を堪能できました。
もう1月も終わりですが、今年もよろしくお願いいたします。