「コーヒーが覚めないうちに」という映画を見てみました。
ちょっと古い映画ですが、とても面白い内容でした。YOUTUBEで無料で見ることができました。
その映画を見た後に、自分は過去に戻れることができたらどうしたいか、
そんなことを考えていました。。。
かれこれ20年以上前になってしまいますが、、、
会社で働いていた頃の話です。会社の先輩が、三浦綾子さんの小説を読んでる
という話から、クリスチャンの話題になったんです。それでその先輩に私が教会に行っていると話したら、
思いがけない反応で。。
「◎◎さんって、クリスチャンなの?クリスチャンってすごいよね、
右の頬の方を打たれたら左の頬を差し出せるんでしょ?
私にはクリスチャンになるなんてとうてい無理だわ!」
って言われたのをふと思い出したんです。
あの頃は、まだ私も信じて間もなくて、思ってもみなかった反応が突然来て、
戸惑って、うまく対応できなかった記憶があります。確か、戸惑いつつも
「いえ。。。左の頬もどうぞなんてできません。。」って答えたんですが、
先輩はもうその場を去っていました。
先輩はその後しばらくで会社を辞めてしまって、それ以来また深い話をするチャンスは
なく、終わってしまったんです。
もしタイムスリップして過去に帰ることができるなら、あの時に戻って、あの先輩に
それはクリスチャンになる条件ではないんです、とお伝えしたい!!!
聖書の中にはイエス様がおっしゃった言葉で、無理そうなことが結構いっぱい出てきます。。。
敵を愛しなさい、とか、完全であれとか。。
現実的に、そんなことは無理だと正直に思います。
それは救いの条件ではないことを理解しないといけないんです!!
救いというのは、神様の恵みによって信仰を通して与えられる、とはっきり聖書に書いてあるからです。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。(エペソ人への手紙2:8)
もし誰かに頬をぶたれたら、、、私は絶対に急いで逃げると思います!!
イエス様はそんな無理なことを要求されているわけではないのです。
イエス様は、当時の律法学者たちの心の偽善をご存知でした。
律法学者たちは自分たちの心の中の偽りを無視し、自分の力で旧約聖書の律法を完全に守っていると思っていたからです。
でもイエス様はすべてお見通しでした。
もし誰かに対して怒りを持つなら、イエス様の基準では、それは殺人と同じだとおっしゃっています。
イエス様は神のように完全でありなさい、と言っています。
そんなことは可能でしょうか?
誰にもそんなことはできません。
だれにも神の律法の要求を完全に満たすことなんてできないのです。
だから、イエス様の十字架によって私たちは神のゆるしを受けました。
人間がどんなに頑張っても、自分たちの力で神に義としてもらうことは
不可能なのです。だから、神様の恵み(受けるに値しない者に与えられたギフト)を信じる道が与えられているんです。
では神様の恵みとは何でしょうか。
それはイエス様です!!!
「律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおして来たのである。」
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエスキリストによって実現したからである。」
“For the law was given through Moses; grace and truth came through Jesus Christ.”
(ヨハネの福音書1:17)
このブログをあの時の先輩が読んでくれる可能性がかなり低そうだけど、、、、
でも、もしこの文章を読んでくださってる方で、あの先輩みたいに勘違いをされている方がおられたら、
是非、知っていただきたい聖書箇所があります。↓
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
(ローマ5:6〜8)
私たちが人を愛せない、人をゆるせない、人を妬む気持ちとか、悪いことをされたら復讐したい気持ちを持ってしまうとか、自分をダメだと卑下しているとか、そんなどうしようもなく醜くて弱い者であっても、そんな人間だけど、
神様はすばらしい恵みのゆえに、そんな人間を愛して救いたいと思ってくださっているんです!
こんな弱い人間を救うために、イエス様は、十字架に架かって命を捨てて、罪の代価を払ってくださった。
だから、人間に求められてるのは、信じること。それだけなんです。
信じて、恵みによる救いというギフトを受け取ってください!!!
