結局のところ観光的な事は殆どなく

佐渡島もまた修行旅となりました(笑)


龍宮両大龍王にて結界を解くと


天翔ける龍が空に登りました。


大雨予報が嘘のような晴天で

しっかりとアークが太陽に映ります。


様々な神社を清掃し、神事を行い

佐渡を旅してわかった事はこの島は

青ヶ島とは対となる島であること。


青鬼が大山祇神であり

赤鬼が猿田彦である事だ。



青鬼こそ牛を従えて虎を敷く

丑寅の昆神シヴァである。


赤い鳥はそのまま朱鷺。


トキはエジプト神話のトートと同一神とされる。


トキは赤と白を表し、猿のような面妖。


そのまま日本の国旗である。


大黒天(大国主命)であるシヴァに対して

猿田彦はエビスの神格を持っている。


エビスの真言はインドラヤソワカ。

インドラは雷の神である。



佐渡島は雷の形をしているのだ。


佐渡は能の島であり、田畑を

売ってまで能道具を買ったという。


能は江戸時代までは

「猿楽」と呼ばれていた。


猿田彦は太陽神である。

つまりは日本神話における金鵄なのだ。


申(サル)に示された武の神。

それこそが神武天皇であり、

その神武天皇こそ大山祇神、または

建御名方とも考えられる。


佐渡島を後にして向かったのは


越後一宮 彌彦神社


弥彦神社ではあわのうたの

正式参拝をさせて頂きました。


とても厳粛で煌びやかな社でしたが

出雲や伊勢のようなお役所感が強かった。


祭神の正式名は伊夜日子大神。

風の属性を持つ神社であり

風神が封じ込められてる神社である。


風神=エンリルであり

その息子はオシリス、つまり

息吹戸主=大山祇神=シヴァである。


大山祇神の別名は冥界大明神。

夜を護る日の子というのも正に

その名前が物語っている。


伊夜日子大神の別名は天香山。

天野香香背男の事だと考えられる。


つまり出雲大社に封じられた

本当の日本の祖霊である。


そして、この弥彦神社もまた

二礼四拍手一礼であった!!


一説では、四拍手は死を意味し、

出雲大社の怨霊を封じ込めるために

実は四拍手必要であるという説がある。


何故、諏訪だけが神在月なのか?

なぜソソウ神と呼ばれたのか?


それは建御名方が父親の大山祇神を

封印から解こうとしたからではないか?


そうさせないために建御名方は

諏訪に封印されたのかも知れない。



弥彦神社の神紋は十字の中に大の文字。


つまりは大黒天であり大太郎坊。

ダイダラボッチであり大山祇神である。


そしてなぜこの神社の名前が

弥彦なのかを紐解いていこう!


九州の南にある日向には

大人(オオヒト=鬼)と呼ばれる巨人、

弥五郎どんが出てくる話がある。


熱串彦神社の

阿田都久司尼命妻の名は

日向賀牟度美良姫であった。

此処にも深い繋がりがあるのが

賢明な読者ならお気付きだろう。



日向に住んでいた弥五郎どんは

身の丈4m85cmの大男であった。


面白いごとにその身長は

仏陀と同じ背丈である。


25反(1反が田んぼ一枚)もの

梅染めの衣を身に纏い、

ギョロリまなこに太い眉、

頭にはトリシューラを思わせる三つ矛、

大小2刀を腰に携えた勇ましい大鬼である。


三つ矛は先に示したシヴァが所有している。


一説によれば、山に腰かけ、海水で顔を洗う

大男とよばれており、村人を洪水から救い、

「礼には100足の草鞋をくれ」とふざけて

村人たちを和ませたり、雷雲をかき混ぜて

村人たちを驚かせたという逸話もある。


穀物の豊作や地方守護の先導役として彼は

昔からこの土地になくてはならない存在で

多くの村人から愛されていたという。


一説には720年に起きた隼人の乱の時の

隼人族の首領であったといわれている。


熱串彦神社の主祭神は

阿田都久司尼命

つまり阿多都族であり隼人族なのだ。


弥五郎は三兄弟だったと言われている。

この話はいずれ都市伝説の裏の裏で語るが

弥五郎こそが六代に渡る天皇に仕えた


武内宿禰とも言われている。


弥五郎もまた300歳の長寿を誇ったと

いわれており、武内宿禰と共通点が多い。


この頃、南九州は日向といわれた

隼人族の地であったが、奈良の大和朝廷は

日向を薩摩と大隅に分割し支配の強化を

計ったのである。


その分割統治、支配強化に対して反乱した

隼人族は大和朝廷の圧倒的な兵力の前に

力尽きて、大勢の犠牲者を出したという。


散々、他人の国を蹂躙した大和朝廷であったが

隼人族の怨霊を恐れて、石清水八幡で放生会を

行なわせ、その際に隼人族の首長の弥五郎どんの

大きな人形を作ったといわれている。


神事が終わったころには雲が晴れて

すぐそばにある祓戸神社では

鳥居に着いたタイミングで目の前に

トンボが飛んできてホバリングをし

境内にスッと飛んで案内してくれた。

トンボはハヤアキツヒメである。


祓戸神社で結界を解いたあとは

弥彦神社の本当の聖地である奥社

弥彦山に向かいました。



残念ながらこの神社には物凄い

結界が張られていました。


社の真後ろに高圧電線。

表側にも高圧電線。

本当に腹立たしい。


これまで日本中の聖地を回ってきたが

本当に大切にするべき神社のそばには

必ずといっていいほど高圧電線や鉄塔、

電波塔などがわざと設置されているのだ。


神事を終えると分厚い雲から

本当に美しい太陽が顔を覗かせた。


無事に結界が解けたことを告げるような

伊夜日子大神の名に相応しい太陽だった。


我々の佐渡島のツアーは終わった。

そして次のツアー地が決まった。


次回は2022年 12/5-12/8 

神の島「宮古島」である。


奇跡を体験したい人は是非

次回のツアーに参加しましょう!


クロ戌