二泊三日で母親孝行にと
母が幼少期から青年期までを過ごした
和歌山の田辺市に母方の先祖の墓参りへ。
母方の親族には会ったこともなかったし
私には全く縁がないと思っていたのだけど
色々と奇跡的な繋がりが多くあり、本当に
⁡有意義な旅となった。

まずは東京から新幹線に乗り
名古屋でレンタカーを借りて
母を迎えに行ってから和歌山へ。
途中、車内で母の親友がガンで
余命幾許もないと聞かされて急遽、
予定を変更して奈良を経由する事に。
母の親友の家の近くにあったのが
なかなか縁が繋がらず、今回の予定にも
入れていなかった「飛鳥坐神社」。

不思議な引き寄せで参拝する事が出来た。



こじんまりとしてるのかとおもいきや


神さまいっぱい居ます神社だった!

英気が集まっている参道。


白鬚神社なのに稲荷が祀られている。

なかなか面白い考察が広がる。


偶然いらっしゃった神主さんから
五色人に関連するかなり面白い話を
聴く事が出来たのも偶然ではないと思う。



飛鳥坐神社のそばにある「ひもろぎ」の
カキ氷が絶品すぎました(笑)



女将さんが肩が重いというので
練丹氣功で治してあげたらとても
喜んでくれました♪

夕方過ぎに母の故郷である和歌山の田辺に。



武蔵坊弁慶の故郷であった事にびっくり!
弁慶は脛の泣き所、つまり朝廷に最後まで
逆らった長髄彦の一族であり、つまりは
自分と繋がり深い建御名方の一族でもある。



翌日は母の先祖の墓参りを済ませたのち
母の幼年期の庭として遊んでいたという
氏神神社である闘鶏神社へ。

境内に入ると此処にも武蔵坊弁慶が!!


闘鶏神社の名は平家物語の壇ノ浦合戦の
鶏合せの故事に由来するという。
まさか此処でも平家と結び付きがあった。
源氏と平氏の双方より援軍を要請された
熊野水軍の頭領、武蔵坊弁慶の父である
熊野別当・湛増(たんぞう)がどちらに
加勢するかの神意を確認するために
闘鶏神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に
見立てた紅白7羽の鶏を闘わせた。
すると、ことごとく白(源氏)の鶏が
勝利したため、源氏に加勢することを決め
熊野水軍200隻を出陣させました。
熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に
強く結びついたともいわれている。



境内の一角にはその様子を再現した
湛増と弁慶像があり、社務所には
源義経=牛若丸が奉納したといわれている
笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、
湛増が使ったとされている鉄烏帽子や
鉄扇等の宝物が展示されていた。




更に驚くべき奇跡が起きた。
この闘鶏神社でまさかの自分が古武術を
学ぶ上で最も敬仰する武人、植芝盛平翁の
出生地である事を知ったのである。




偶然にも鎌卍を背中に背負い、戸隠を愛し、
そして神伝武術の道場を開設するという
このタイミングでの邂逅に驚きすぎた。



完全に引き寄せられていたようだ。
闘鶏神社を出て、昼食を食べたのち
母が地元なのに行った事がないというので
前回はスピリチュアルツアーで参詣した
思い出深い熊野大社へ。

荘厳なる景色が眼下に広がる。

母の氏神だった事に改めてご縁を感じる。



祓戸大神の前では祝詞と共に一気に
空気が変わるのを全員が肌で感じた。



それにしても素晴らしい晴天。
しかも今年は熊野本宮大社が
正遷座130周年という奇跡!!


本殿に入るタイミングで太鼓が鳴る。
祝詞の間も終始、神風が起きる。

本殿を出たタイミングでまた太鼓が鳴る。
とても歓迎されているのを実感する。


若い時は無茶苦茶な母親だった。
薬が切れると理不尽にキレ出して
大きなガラスの灰皿で頭を殴られた。
ネグレクトでほとんど子育てをせず
私の目の前で警察に手錠をされて
刑務所に行き、何年も帰ってこない。
そんな事が頻繁にあった。
刺青を入れているために母と一緒に
プールや銭湯などに行った事がない。
今回予約したホテルは温泉付きの
最も見晴らしの良い部屋にした。



小さくなってしまった母の手を握り
足幅を合わせて長い階段を歩く。
母と共に過ごした時間はとても少ない。
あとどれだけ同じ時間を過ごせるだろう。
そう思うと胸が熱くなった。


後半に続く。