龍神(鬼)の結界を解く旅の

2日目の7月17日は

世界を飲み込む大洪水後に

ノアが地上に降り立った日であり

その降り立った山こそがアララト山。


そう、これが剣山のことである。


早朝は自由参加で朝5時から

ヨガレッスンを行いましたが

まさかの全員参加。


本当に今回の参加者達は

意識が高過ぎます(笑)


その後、山霧に包まれた

幻想的な剣山の頂上にある

剣山の中で最も神聖な聖地で

最古の忌部氏達が行ってきた

日本の古神道とチベット密教を

統合した祭祀を執り行う。



この日のために弟子と共に

研鑽を重ねてきた剣舞神楽。


誰よりも息が合う陰陽の殺陣。


アイヌに伝わる世界最古の管楽器

イオンカにて龍神とつながる道を作る。


イオンカに合わせて鳴らす龍笛。


名匠がこの日の為に創り上げた篠笛。


インドにしかない貴重なシャンカと

日本発祥の法螺貝による共鳴。


2001年~2008年にスイスで制作された

世界的に極めて稀少性の高い楽器HANGと

ハンドパンとの共鳴。


※HANGの製作者のフェリックスは

CNNの取材時、これは楽器ではなく

スピリチュアル性を高めて瞑想を

深めるために作りあげたものであり

楽器とは読んで欲しくないと主張。


日本をリスペクトした

AKEBONO」という名称からも

神社での奉納演奏に最適な神楽の一つ。


更に巫女たちによる神楽の奉納。


更に参加者全員でチベット密教に伝わる

秘伝の祝詞声明を奏上した後にいよいよ

日本最古の癒し歌あわのうた奉納を行う。


祝詞を奏上し始めると同時に

背後に巨大な龍がまるで地面を

はいずるような音が響き続けました。


祝詞奏上中に同じように体感した

参加者が何人も居た事にも鳥肌。


強風と霧雨に全身を震わせながら

一時間ほど掛けた神事が終わると

同時に信じられないことに一瞬だけ

霧雨が止み、濃厚な山霧が晴れて

重い灰色の空に太陽が燦々と覗く。


参加者達の歓声がとても心地よく

龍神から与えられた剣山での役割を

無事に果たせた事を痛感します。



朝食後は剣山奥社本殿にて

公式に「あわのうた」の奉納式を

執り行わせていただきました。


麓にある剣山神社と同様に

あわのうたの奉納中にまたも

雷鳴が鳴り響き、全ての神事が

無事に終わったことを感じます。


ツアーの都合もあり、下山は

ロープウェイにて。

山霧が不思議と何度も龍を形作ったり

剣山は粋なお見送りをしてくれました。



下山後はキリスト伝説の残る

栗枝渡神社を参拝。


主祭神は

安徳天皇、誉田別命、天児屋根命

である。


安徳天皇とは誰なのか?

ここ数ヶ月、やたらと天啓を受けていた。


栗枝渡神社という名前からして

暗に安徳天皇はキリストだと

示しているようにも思う。


誕生日が12月22日なのも

意味があるように思える。


※キリストが12月25日生まれ

というのは嘘という説が有力。


安徳天皇は壇ノ浦の合戦で8歳の若さで

三種の神器と共に海に身を投げたとされる。


しかし、実は壇ノ浦には影武者をやり

この地に落ちのび、この地で生き続けた

という伝説が残っている。


平家物語」では

安徳天皇は女帝であったのではないか?

という疑念を起こさせる容姿の描写がある。

『愚管抄』で安徳天皇を「龍王の娘」

と記述している事、そしてさらには

鳥取県八頭郡八頭町姫路に安徳天皇らが

落ち延びたという伝説が残っている事。


8歳で亡くなったというのも…

八頭郡姫路という名前からも…


安徳天皇とはキリストの子「サラ」

なのではないかと考えられるのだ。


詳しくはまた「都市伝説の裏の裏」で

語る事にして旅の話に戻ろう。


安徳天皇は最後、この地で亡くなられ

栗枝渡神社の裏で火葬されたという。


確かに神社というよりは家のようだ。


神社自体にはそれほど感じなかったが

火葬場はやはり物悲しい氣に満ちていた。



不思議な岩が結界の役割を果たしている。


命の息吹を宿すイオンカと共に

蘇りの祝詞を唱えて空間を浄化する。


栗枝渡神社の境内の隅にひっそりと

しかし堂々とした立派な神木があった。


彼女は磐長姫。

つまりサラの母親だろう。


安徳天皇に寄り添うように

神木の横の小さな祠に手を合わす。


此処が境内で最も神聖な場所だった。



2日目の後半へ続く。