下鴨神社の瀬織津姫神社で
禊の祝詞を済ませたのち

逢魔ヶ時を狙い
鞍馬山、魔王殿へと向かう。


鞍馬山の奥院である魔王殿の
御神体はサナト・クマーラ。
「尊天」の一体、「護法魔王尊」を祀る。

人類を救済するため、650万年前に
金星から地球に降り立った永遠の存在。

ヒンドゥー教の神話に登場する賢人
「サナト・クマーラ」とはサンスクリット語で
(永遠の若者)を意味する。

自らを永遠の小学生と名乗っていたのも
意味があるのかもしれない(笑)

クマーラが鞍馬になったとの逸話もあり
鞍馬とは実は「蔵魔」なのである。

つまり蔵に封じられた鬼なのだ。


鬼一法眼がこの地で修行をして
牛←若丸に兵法を授けた剣術の神である事は
もののけとされた武士(もののふ)、つまり
物部氏のことである事がわかる。

その鬼一法眼が持っていた秘伝の書
『六韜(りくとう)』こそが、ノアから
モーセに手渡されたトーラの書である。    


魔=悪魔ではない。
善と悪とは光と影。そのどちらが
欠けてもこの世界は成り立たない。

比較こそがこの世界の学びであり
その双方を熟慮した上で全ての起こる
事柄に対して「赦す」事が真理なのだ。

鬼とは甲・乙・ム(こう・おつ・なし)
と書く。

悪い人間なんていない。
悪い状況があるだけだ。

神が作りし、この世界に
無駄なものなど一つもなく
全ては必然であり偶然などないのだ。


以下の考察は様々な歴史的資料から
紐解いた個人的な見解ではあるが


クマーラは貴船神社に祀られる
高龗神(たかおかみのかみ)と同一神で
「高」とは山の上を指し、
龗神(おかみのかみ)とは龍を現す。

つまり「大山祇神」の事なのである。

大山祇神の別名は大物主。
大物主のモノとは「鬼」を指している。
つまりは「大鬼主」なのだ。

そして「大鬼主」=「高龗神」こそが
シュメール神話における三兄弟。
「ウツ」「エレシュキガル」「イナンナ」
の長兄にあたる「ウツ」なのだ。

ノアの大洪水によって世界が滅んだ日。
方舟で多くの種子を救った人物である
「アトラハシス」つまり「ノア」である。

ノアは宇宙船の司令官であり、
それがノアの方舟だから貴船神社。

大洪水のなかで陸地を探し続けて
大きな山の上に漂着したからこそ
「大山祇神」なのである。

大山祇神の子供の二人、それが
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と
磐長姫(いわながひめ)が有名だ。

そう。イナンナとエレシュキガルだ。
姉の磐長姫こそ岩の蛇(ナーガ)で
闇龗神となるわけだ。


更に詳しく知りたい方は僕の
YouTube番組「都市伝説の裏の裏」を
参考にしていただければと思う。


今回の旅の最大の目的は
丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に
神宝神社の宮司の付き添いのもとで
封じ込められた魔王尊の結界を
解き放つのが最大の目的なのである。

まずは下見もかねて
丑の年の丑の月の丑の日の逢魔ヶ時に
鞍馬山の奥院である魔王殿へと向かう。

途中の魔王の滝で頭から水をかぶり
鞍馬山の本殿でご挨拶と祝詞を済ませ
魔王殿に辿り着いた時にはすでに陽は
西へとおおきく傾いていた。

神事を執り行うと魔王殿に神風が舞い
我々の背後に走り寄ってくる足音がしたり
人ならざる者の気配を皆が感じ取っていく。

しかし、不思議と恐怖心はない。
興味深く神事を覗き見ている感覚である。

無事に全ての祝詞を唱えあげた時には
すでに陽は完全に落ちてしまい、目の前は
真っ暗な状態となった。

そのまま皆で暗闇の中、鞍馬山を下山。
貴船神社のほうに足を進める。

下山した時にはすでにバスもなく
タクシーを呼び、各々のホテルへと。

夕飯を済ませ、少しの仮眠を取り、
いよいよ深夜2時、丑三つ時に合わせて
このために集まった限られた者だけで
改めて魔王殿まで山を駆け登っていく。


夕方とはまるで雰囲気の違う真夜中の
魔王殿にて白い息を吐きながらの瞑想。
しかし不思議なくらい寒さを感じない。

108回のシヴァマントラ。不動明王真言。
祓えと清め、蘇生のための祝詞を奏上。

人ならざる者たちが周りをぐるぐると
歩いているのを肌に感じ取る。
闇に包まれた本殿の前から覗き込む
何者かの気配。

足元が痺れ、グラグラと左回転で
身体が周りだし、地面が震える感覚。
最後には魔王殿一帯に轟音が響いたのを
そこに居た誰もが聞いていた。

六の根を活かす歓迎に魂が震える。

神宝神社の宮司さんが
「降りたんじゃないですか?」と
静かに声を出した。皆同じ感想だった。

個人的にも多くのメッセージを
受け取ることが出来た。
大きい使命を無事に終え、下山。

そして睡眠も殆ど取らずに早朝から
牛王宝印神符を戴くため京都を後にし
奈良の天河神社へと向かった。

続く