スピリチュアルカウンセラー クロ戌です。



今日はずっと昔から書こうと思っていた
テーマの話をしたいと思います。


「ドクロのものや黒い色の服は運気を下げる」

なんて話を聞いたことありませんか?


事の発端は、髪の毛や着衣をまっ金金にして

金勘定ばかりしている有名人の自称霊能者が

浅はかな先入観をひけらかし、テレビや雑誌などで

「黒い服なんて着ちゃいけない!」

「ドクロの服なんて着ちゃいけない!」と

言い出したのが始まりでしょう(笑)



ハッキリ言ってこの考え方は
大間違い
です。


人にはそれぞれ属性というものがあります。

太陽に月、光に影があるように

男と女、生と死があるように

わかりやすく言いますが
人にも光と陰の属性があるのです。

これにはまず「陰=悪」ではない事を
知る事から始めなければなりません。


これはこの世界の真理なのです。


光属性の人間は簡潔に言うならば

天照大神、アポロン、ブラフマー  

大日如来などに代表される

神様に守護されてる者達でしょう。


※宗教により名前が違うだけで
同一神と私は解釈してます。


陰属性の人間は少し説明が難しいのですが
単純に悪魔やサタンなどの「邪」のものではなく

簡潔に言うならば
「土着の神」や「五穀豊穣の神」、
「荒神」や「月の神」などがそれに
当たるといえるでしょう。

例えば月読尊、大黒天、シヴァ、
大国主命、閻魔、不動明王、菅原道真や
素戔嗚尊、日本武尊などなど。

※荒神と陰属性の神は分けて
考えるべきかもしれませんが
簡潔にここでは
和魂・荒魂=光と陰と称します。



あくまでも簡単に説明しますが
【光属性の人間】というのは陽の気を持つ人。

基本的に楽観的。マイペース。
行動力にすぐれ、リーダーシップ型。
人を元気な気持ちにさせてくれたり、
一緒に居るだけで心が温かくなるような
性質を持つ人が多いです。

天使、神、宇宙に興味を示す人が多いですが
心霊や怪談話などは基本的に好みません。


私は大天使と話をしているの・・とか
〇〇星人といつも通信している・・
なんていう人もこっち側が多いですね(笑)

光属性の人の注意点としては
自我の強さ、頑固、好きなこと以外は
興味がないとか、熱しやすい分、
暴走傾向が強く、慎重さに欠ける部分が
ある事です。

※注意すべきは「陽の人間」で
あるかのように見せかけて
金・欲・楽に囚われる傾向が強く、その実、
低俗な動物霊に取り憑かれている人間が多い
事です。


その多くは【狐憑き】です。

狐はお金、酒、ゴールド、貴金属、
装飾品を過度に好みます。

これに取り憑かれている人間の性格はというと
決して明るいとはいえないのが特徴的です。

人と自分を常に比較し、
攻撃的でプライドが高く、自信家。
視野が狭く、自分の味方(同種)だけを
周りに置き、異性好き、嫉妬深く、
群れることを好み、否定的で
上下関係にうるさく、いつも損得勘定
金勘定をする傾向にあります。

なかには髪の毛まで金髪にして
陽の気で満たされている私・・
とスジ違いの悦に浸っている
自称霊能者が存在する始末。



【陰属性の人間】は陰の気を持ちます。

神秘的で浮世離れした人が多く
精神的な成長を与えたり、
安心感を与えたり、自分を見つめ直す
機会を与えてくれたり・・
人を惹きつける能力を身につけている
人が多いのが特徴。

彼らの注意点としては
神秘性に心が行きやすい性質であるがゆえに
魔女や魔法などを好み、性格は繊細、
内向的で、人の目を気にしやすく
モノトーンや髑髏柄などを好む傾向が強く
やはり「悪い気」に引き寄せられやすい
体質の人間が多い事でしょう。

悪い気に当てられると精神的に病むので
能力以上の努力をして潰れる人も多いのが
特徴的です。


ここまで読んでみてどう思いましたか?


どちらにも得手不得手があるのが
わかりますよね?

陰と陽はそうやってお互いの足りない部分を
補い合いながら均衡を保っているのです。



ですからこの話のテーマに戻りますがつまり
ドクロや黒い色が運気を下げる
というような単純な話ではない
という事です。

不動明王のなかには髑髏を首から
ぶら下げている者も存在します。

インドのシヴァ神も
ドクロの首飾りをしてますし
チベット僧はドクロの数珠を
神聖なものとして身につけます。

チリでは毎年「死者の祭り」が
国をあげて行われ、街中に髑髏が飾られます。


それはまさに
「髑髏=悪」ではないという事です。


ただし・・髑髏モチーフのモノには
ネガティブな気が溜まり易いというのも事実です。

なのでそういうものが好きならば
ホコリ等をかぶせてほったらかしにはせず
大切に可愛がってあげることです。


同様に・・いくら神仏などの銅像を
部屋に飾っていようと、それが
手入れもされずに埃をかぶっているようでは
結局悪い気を引き寄せる
という事になるのです。


お寺というのは本来、死者を弔う場所であり
気の通りの悪い場所に建てられるものです。


そこに住む住職が
なぜ悪い気にあてられないのか?


それは日々、仏像を崇め、
精魂込めて毎日掃除をし、
その空間を常に綺麗に保つ事によって
神仏の庇護を受けているからに
ほかならないのです。



クロ戌



※これは2014年12月に書いたブログ記事の転載です。
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