僕は僕の守護する者から授かった

スピリチュアル・メッセージをブログで

365日更新しており、そして幸いにも数多くの人達に

「このタイミングでこのブログを読めてよかった」

と感謝のコメントを頂くことが多くあります。



その都度、僕はメッセージを書いて良かったな

と実感しています。



ただ、稀に僕のブログに対して

「○○だけじゃないですよ・・」

などとコメントをしてくる人が居ます。


そして、残念な事に、そういう者の多くは

同業者か全く素性を隠した対岸の傍観者であることが多い。




本人は半ばアドバイスのように正論を唱えているつもり

なのでしょうけど、そこには大きな間違いがあります。



僕はこれもブログに何度も書いている事なのですが

文字に変換された言葉ほど、一方通行なものはない

と感じています。



文字は作り手の思想の一面しか表現する事が出来ないものなのです。




しかし物事の一面だけを示したものであっても

時に人の心を癒すことも出来るものです。



その一面に賭けた想いこそが

僕のスピリチュアル・メッセージです。




「こういう物の見方も出来る」と正論を言うのは

とても簡単なことです。



しかしそれは木を見て森を見ずの発言。



こちらはそういう見方がある事など当然、理解しています。



しかし、よりダイレクトに悩める者の心に響くように
文字数を制限し、余計なイメージをそぎ落とした
文章にしているのです。




人が文字にした言葉を「その者の伝えたい事全て」だと

感じるのはただの慢心でしかありません。



言葉とは毒にも薬にもなるものです。



そのメッセージで救われた者が居るのなら

それがその言葉の存在価値です。




対象が己ではなく他人である限り、人間の底は浅くなります。



そして人間と言うものは相手を理解した気でいるだけで

実際は理解していない事がとても多いものです。



木を見て森を見た気になってはならない。




「占い師」や「カウンセラー」などの立場の人間は特に

日々、よく考えなければならない事だと僕は感じています。


$タロット占い師・クロ戌ブログ
※このブログ記事は2010年6月の記事の転載です。

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