そんな苦痛だらけの日々の中での

僕の唯一の救いは姉の存在だった。



姉は家出した後も、何度か僕にこっそりと

コンタクトを取ってくれた。



姉は昔からピエロが好きだった。

幼い僕はピエロが不気味なものに見えていた。


ある日、僕は姉に

何故ピエロが好きなの?と聞いた事があった。


すると姉は

「見て、ピエロは涙を流してるけど
顔は笑ってるでしょ?」と

僕に優しく微笑んだ。


ヤクザの息子と幼少期から周りの人間に

奇異の目で見られてきた僕たちは

とにかく傷付く事を怖れていた。


僕が中学生にあがる頃、

内向的な性格のため親友など居なかった

僕は当時から友達が多かった姉に

どうしたら本当の友達が出来るのか?と聞いた。


すると姉は

「たとえ人に馬鹿にされようと、
誰かを笑わせられる人間になりなさい。」

と僕に微笑んだ。


当時18歳ほどだった姉は

何処かもう人生を悟ったような人だった。


今までの自分を変えたかった僕は、

尊敬する姉の言葉を自分なりに理解しようと

必死に実行に移していった。


周りの生徒に馬鹿にされながらも

必死にお笑い番組を見て勉強をし、

冷汗をかきながら周りから笑いを取ろうと努めた。


そして姉の言葉を忠実に信じ続けた

僕が、中学三年になった頃には

生徒会長から学校一の不良まで・・

様々な者達と親交を持つまでになり

親友と呼べる者も出来るようになった。


幾度と無くヤクザである親の都合で

引越しを重ねたのだが、学校だけが

心の休まる場所だった僕は絶対に

転校をしたくないと卒業までその

中学校に2時間以上かけて通い続けた。


音楽に目覚めたのもこの頃だ。


僕は自分の気持ちを代弁してくれている

パンクロックが大好きだった。


バンドを組み始めたのもこの頃で

友人の兄に借りたベースを弾きながら

僕はシド・ヴィシャスになった。



THE STAR CLUBの「NOW AGAIN」を聴いて

産まれて初めて歌で涙を流した。



進むべき道も見つけられなくて
やり場の無い怒りに打ちのめされた
時の過ぎるまま生きてたあの頃・・
ラジオから流れた一曲のパンクロック

静けさ掻き消すノイズの向こうに
探した答えが煌めいてた
孤独に怯えて 群れなす事で
誤魔化しあうのも昨日までさ

何もかも変わると信じていたぜ
歴史の新たなページが開くと・・



ボーカルのヒカゲ氏の言葉は僕の心に深く響いた。


大人になり、ヒカゲ氏と肩を並べて酒を呑む事も出来た。

この音楽に出会わなければ今の僕は無かっただろう。


パンクロックを通して友人も増えていったが

劣悪な家庭環境はその闇を更に更に・・

深めていった。


つづく
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