ある寒い冬の夜・・・


賭博で心の隙間を埋め、

寂しさから薬物にはまり、

焦点の定まらない目で僕たち姉弟を

真夜中に叩き起こした母が

「殺されたくなかったら・・
この家からでていけっ!」

と震える手で、困惑する僕たちに

包丁を突きつけながら叫んだ。



尋常ではない状態の母の表情、

焦点の合っていない目に僕たちは

母がただならぬ状態である事を感じ取り


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・
いい子になります。言うことを聞きます」

と訳も分からず、ただ震え、泣きじゃくった。


しかし、豹変した母は雪の降る寒空の下、

恐怖に震える寝巻き姿の姉弟を、

靴を穿く時間も与えずに家から追い出した。


その時すでに小学校の高学年だった姉は

そのまま友達の家へと避難したのだが

当時まだ小学校低学年だった僕は

何処にも行くあてなどあるはずもなく

うっすらと雪の積もる駐車場を

ぼんやりと見つめながら、玄関の前に

蹲(うずくま)り、母がまたあの優しい顔で

僕に近付き、許してくれるのをただ独り、

膝を抱え、震える体を抱きしめながら

何時間も何時間も待ち続けた。


空からチラチラと雪が舞い落ちていた。


2時間ほど待っただろうか。


玄関の扉が開き、全く別人のような

優しい表情の母に僕は抱きしめられた。


母は僕に何度も何度も

「ごめんなさい・・」と謝っていた。


僕はもらい泣きをしながら、

意味も分からず母に何度も謝った。


男があまり家に居付かない事が

唯一の救いだった僕とは違い、

母はその事が耐えられなかった。


どれだけ殴られ、虐げられようと・・

母は心から男を愛していたのだ。


母は真夜中、よく独りで泣いていた。



そしていつからか母は


僕たちの顔を見なくなった・・・。

僕たちを見て笑わなくなった・・。




母は時折、家に帰ってくる父親と

共に出掛ける事が多くなり

僕たち姉弟は、お互いに寄り添いながら・・

生きるための様々な知恵を

身につけなければならない生活が始まった。



食料を置いて出て行くことが殆どなかった両親。


たまに両親に頼まれたらしい、

明らかに薬漬けの男が食料の袋を

いくつか持って家に訪れたが

それもまばらであった。



ガスが止まり、風呂に入れない日々も珍しくなく、

真冬であっても冷たい水で頭を洗った。


電気が止まる事も日常茶飯事で、

姉弟はロウソクの火を灯して

毛布に包まって寝る事もあった。



育児放棄した母親から、

僕たちは何も望むことは出来なかった。



賢明な姉は食べ物を手に入れるために

近くのパン屋に行き、3日に1度ほどのペースで

「犬にあげるので余ったパンの耳をください。」

と店のおばさんに伝え、無料でパンの耳を貰ってきた。


一人で貰いに行くと怪しまれると

姉弟は交代でパンの耳を貰いに走った。


ある日、僕が目を伏せながら

「犬にあげるので余ったパンの耳をください。」

といつものようにおばさんに声を掛けると

おばさんは目に涙を浮かべながら

「これはよかったら僕が食べてね・・」

と僕にチョコについたパンを差し出した。



僕はとても気恥ずかしくなり、

そのパンをおばさんから奪い取り、

その場から逃げだした。


その時の僕は何故、頬から

涙が出てるのかもよく判らなかった。


自動販売機の下に落ちた小銭を探し歩き、

空き瓶を集めて店に持って行くのは日常の一部だ。


お腹が空いて、どうしようもない時は

真夜中、姉弟で近所中のビニールハウスに忍び込む。


ビニールハウスの中にはトマトやイチゴ、

様々な食料が栽培されていて、

僕たちはそれで飢えをしのいだ。


道の雑草が美味しそうに見えて

口に入れた事も何度かあった。


隣の家の観葉植物を食べてみたこともあった。


とても苦く、食べられるようなものではなかったけど。


給食は僕たちの命を繋ぐ大切なものだった。


また学校で栽培している人参やじゃが芋などを

よく姉は持って帰っては僕に料理してくれた。


とても料理とは言えない質素なものだったが

二人で寄り添いながら食べる料理はとても暖かった。



僕たちはふたり、懸命に

小さな命を絶やさぬように生きようとした。


余裕があれば飼っていた犬のゴウにも

餌になるものを持って帰ったりしていたが

まずは自分たちが生きていくことに必死だった。


男が買い溜めてあったドックフードを

姉弟で食べた事もあった。


学校のパンを分け与えて、ゴウと食べた事もあったが

ゴウは厳しい飢えから、よく自分の糞を食べていた。


そんなギリギリの生活をしていた

ある日、突然、両親が帰ってきた。


何処かに旅行にでも出掛けていたのか

沢山の日本製ではない土産を持って。


僕に抱きつく母親の

きつい香水の匂いに吐き気がした。


僕たちもかなり弱っていたが

犬のゴウはもっと衰弱していた。



死因は幼い僕にはわからない。

糞を食べたから死んだ訳ではないのだろうが、

ゴウは主人の帰りを見届けてあっさりと死んだ。


男は号泣していた。


その男の姿を僕は冷ややかな目で見ながら、

自業自得だ・・と心の中で男を呪った。


つづく
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