僕は16歳になる前に家を出た。


家に余分な金も無く、

勉強も好きでもなかった僕は

高校入学など考えていなかった。


もちろん家に金は無く、何よりも

この地獄のような家を早く出たかった。



でも姉は、弟を高校くらい行かせてやりたいと

僕のために、寝ずに居酒屋のバイトをして働き

高校の入学資金を貯めてくれた。



その気持ちに答えるために僕は

髪を黒く染め、悪い仲間と遊び歩く事も控え、

慣れない受験勉強を精一杯に努力した。


その甲斐あって僕は公立高校の試験に

合格する事ができたのだが・・

金を母に預けてしまったのが姉の誤算だった。



父が酒を飲んで暴れて傷害事件を起こしてパクられた。


その保釈金として姉が必死に数ヶ月もかけて貯めた

僕の高校の入学金を母親は惜しげもなく使い果たした。


僕は悔しさのあまり、涙も出なかった。


ほとほと嫌気が指した僕は

自分の人生を自分で掴むために

住み込みで働く仕事を探した。



これが15歳までの僕の人生だ。


このあとの人生は、また次の機会にでも書きたいと思う。



とにかく、こんな劣悪な環境下に育った僕が

人格崩壊もせずに、僅かながらも希望を抱いて

生きてこれたのは

≪神はその人が乗り超える事の出来ない試練は与えない≫

という言葉に早い時期から出会ったからだと思う。



別に僕は熱心な神の崇高者ではなく、

何かの宗教に属している信者でもない。



ただ純粋に、幼いながらも僕は

この言葉に深く感銘を受け、

溢れる涙が止まらなかった。


子供ながらに(漠然と)言葉とは

心を救う力があるのだと

その時、強く感じた事を今でもハッキリと覚えている。


自分もいつしか、傷付いた誰かの心を

少しでも癒す事が出来るそんな≪言葉≫を贈れる

人間になりたいと思った。



映画からの引用にこんな言葉がある。


人は自分が不幸な立場に追いやられた時、

なぜ自分がこんな目に・・と考えてしまうものだ。


だが、その運命を恨み、嘆くのではなく、今、

自分に何が出来るかを考える事が大切だ。


この言葉は僕が「生きていく為に心に刻んだ」言葉であり

これからの自分をも支えていく言葉だ。



試練の数だけ人は成長するのだと思う・・


涙の数だけ人は優しく、そして強くなれるのだと言う・・



今でも、思い返すと全身の毛穴から嫌な汗が滲む、

地獄のように劣悪な環境下で僕は生きてきたが、

≪神様が僕に現世で何かを学ばせる為の必然≫

なのだと僕は考えてきた。


そう考えなければ・・

生きてはいけなかったからかも知れないけど。


しかし今となってその言葉の

「本当の意味」を僕はいま、少しずつ

理解し始めているように思う。


少しずつ少しずつ、心に染み込むように。



幸せそうな家族団らんを楽しむ

サザエさんを見て、涙を流した幼少期・・・

生まれの不幸を呪った事は幾度とある。



「死ねば楽になるのだろうか?」と

考えた事だってあった。


しかし今では僕の今が在るのは

全てその過去のお陰だと心から思う。


どんな親であっても

産んでくれた事に感謝出来るようになった。



それは虐待に耐え切れずに

15歳で家を飛び出した自分を、

ずっと影から支えてくれた姉のおかげでもある。


「神はその人が乗り超える事の出来ない試練は与えない。」


だから諦めてはいけない。


歩みを止めてはいけない。


命は尊ばなければならない。


己に課せられた運命に背を向けてはならない。


止まない雨はなく、明けない夜はないのだ。


僕の自叙伝を最後まで読んでくれてありがとう。



まだこれは僕の数奇な人生の

三分の一でしかないけれど・・

また機会があれば、いつか

この話の続きを書こうと思います。


クロ戌

あとがきへ・・
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