人は、傷付いた数だけ
他人に優しくなれるはずだ。

しかし人は・・大人になるにつれ
傷付かない方法を自然と身に付け
いつからか傷付く事に「臆病」になっていく。

 

利便性を追究するがゆえに

ネットが普及し、結果、皮肉にも

希薄になってしまった人間関係。

容易く手に入れたものは
いとも容易く手放すことが出来るのだ。


利害得失で物事を捉え、築いてきた関係を

容易く手放す者が今の世は後を絶たない。

もちろん人間関係を
損得勘定抜きに語る事は出来ない。

親友というものはお互いにとって
有益(物質的なものに限らず)な存在である。

そして親友とは、良いトコも、悪いトコも
全てひっくるめて、相手を受け入れている・・
そんな存在ではないだろうか?

親友と呼べる者の多くは学生時代に
苦楽を共にした者なのは何故か?


それは「学校」と言う閉鎖的な人間関係の中で
親友と言う存在を求め、自主的に相手に歩み寄り、
お互いの思考を話し合い、時に相手を傷付け、
意見をぶつけあいながら、相手の嫌な部分も含めて
理解しようと努めた結果ではないだろうか?


そういう存在こそが
心友(大切な存在)と成り得るのだ。

しかし大人になると、人は沢山の経験を得て
自らの保身を第一とする知恵を身につける。

学生の頃のように損得勘定抜きに
心からぶつかりあう事を避けようとする。

どうか傷付く事を怖れぬ勇気を持ってほしい。

そして自分が信じたものを
信じ続ける強さを養って欲しい。


人生には傷付かなければ

手に入れられないモノがある。

過ちを犯さぬ者は居ない。
恥をかく事で学ぶ事も世の中には沢山ある。

大人になってから得たそれは、

君の人生にとって何ものにも代え難い

価値のあるものに変わるだろう。

夢見る勇気がなければ

大きな一歩は踏み出せない。

人生はいつだって

『NO PAIN NO GAIN』なのだから。

クロ戌

※これは2010年3月に書いたブログ記事の転載です。

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