息子が2年生になって

私は息子のクラスに通わなくなった。

春休みを合算すれば、ちょうど二カ月になる。

息子と一緒に学校に通っていた2カ月と、今の二カ月の月日の流れる速さの違いに驚いている。

 

いや、息子と一緒に学校に通っていた月日は、あまりにも濃度が高かった。

 

元1年〇組と離れて気づく。

やはり私とクラスでは、強い絆ができていた。

 

元担任のメガネ先生と離れて気づく。

先生は、自分のクラスのこども29人と、加えて一緒に居た私を育ててくれた。

 

あとこれは「なんとなく」ですが、

私は先生に育てられた30分の1ではなく、、

そうとう「贔屓されたひと」だった。

 

メガネ先生は私に

「自分の気持ちを出すこと」の大切さを体当たりで教えてくれた。


 

だからあれから私は・・・

 

家庭でも、職場でも「自分の気持ちを出す」ことがちょっとずつ上手になっていって、その結果、すごく幸せな気持ちで日々を過ごせている。

 

 

それから・・・

 

小さい頃に・・・

私が現役小学生だった時代に壊れてしまった

いくつかの「感情」に息を吹き込んだのも、先生だった。

 

 

メガネ先生は、私の

「しあわせの引き出し」

をあけるためのスキルを持たせるために

どこまで考えていたのか、わからない。

 

確実なのは、私にできることを、

ステップ刻みで用意してくれていたこと。

 

 

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二十歳の頃

私の創作意欲がすごくて

自分をモデルにしたケータイ小説を

ネットにのせていたことがあった。

 

炎上した。

一報、私の文章に共感して涙のおたよりもきた。

そのうちに、ランキングに載った。

書籍化もありえるくらいになった。

 

 

けれど、私を主人公とした小説は

どうしても幸せな結末にしたいのに、書けない。

 

閲覧数が10万を超えたケータイ小説が

未完のまま終わってしまった。

 

というのも・・・

 

 

子供と…若い頃に負った

虐待・いじめ・異性問題の傷を乗り越えても

辛い出来事ばかりが、続いてしまう。

 

書いているうちに、段々辛くなった。

辛さを乗り越えても、辛いことばかりで

この先も、辛い気がして・・・。

 

 

やがてケータイ小説を書いていた大学時代が終わり

社会人になった。

 

3年目で結婚し、すぐに子供がうまれた。

 

虐待されて育ったから

子供を育てるなら、自分だけで育てたくないから

働きながら保育園を使うことにした。

 

すると、育休明けの職場で、壮絶ないじめに遭った。

 

精神科に駆け込み、

生まれつき脳に障害があることがわかった。

 

次男を妊娠し、出産した。

保育園は発達の遅い次男を預かりたくなくて

またここでも嫌な思いをした。

 

次男も私と同じ障害があることがわかった。

 

コロナの三年間

多動の次男を連れ出さねばいけない・・・

やむを得ない事情のときでさえ

もれなく世間から冷たい態度が待っていた。

 

 

そしてコロナが明けた2023年度

私は次男の手を取り学校に行くと・・・

そこには奇跡が待っていた。

 

 

それは・・・

ケータイ小説を書いていたあの時に

もやもやしていた気持ちだったり

「この能力が足りなかったから、幸せが遠のいていた」

と確信する気づきの連続だった。

 

 

だから今なら書ける気がする。

私の物語を「しあわせ」な結末に。

 

 

ADHD 自閉症
私と似た「環境にあわない苦しさ」がある子供が

私の失敗談を笑って読めるような作品が

書ける気がする。

 

 

 

 

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以下、構想【都度編集】

自分の子供時代【破天荒】と2023年度を往復する

 

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【私が生まれたら、母の幸せを壊した】

・うまれる前の記憶

→おとこのこに生まれたかったんだけどダメだった

→しあわせなおかあさんをみた。ゆうふくないえだと知っていた

→だけど、うまれてみたら、はははつらい顔ばかりしている。

「あなたさえいなければこの家族は笑顔だった」母の恨み節【小学四年】

 

【母に恨まれ育つ幼少期】

●2023年度春ごろ、子供たちからの「私のお母さんはね」と、自分の母親との優しい信頼関係の話を聞く。

●2023年6月頃「先生、甘えってなんですか?」私の質問にメガネ先生が凍る。

→2023年6月20日メガネ先生が「甘え」の答えをくれる

 

→妹が生まれた。利発で甘え上手。

→母方祖父母は妹を溺愛、父方祖父母は私を溺愛。

父方祖母、私を愛するがゆえ、母にきついダメ出し、私にきつくあたる

父、私を愛するがゆえ、母は嫉妬なのか私にきつくあたる

 

【犯罪】

●2023年度「どうやったら犯罪者から身を守れるの?」→幸せのレールの話

「なるべく最初に被害にあう機会を遅らせるんだよ」

→母は私を傷つける天才

→母は私が意志・感情をもつことを忌み嫌った

→母は私の二次性徴を嫌悪した

 

●2023年4月~子供からの攻撃

●2023年5月「相手の体をさわること」全体指導

→7歳当時受けた性被害と、被害に遭った側が気味悪がられる歪んだ社会構造に気づいた日。そのうち「恥ずかしい」という感情がゆっくりと崩壊する。

 

●2023年2月「被害を受けたらね、そのうち加害になっちゃうかもしれないんだよ」(クラスメイトの発言)

→小学三年、一緒に被害に遭っていた男の子が加害にまわる。

 

●2024年2月頃「傷ついたら、終わりなんです」

→平成の教師も、令和の教師も、どうして犯罪被害者を追い詰める言葉を使うのだろう。本当に終わりなの?

 

●2023年秋「なにしてもゆるしてくれそうな大人に見えます」

→ここで気づく!!私は自分を大事にする発想がない。

→ここから2024年3月にむけてずっとあがく。

自分の気持ち・意見を大事にすることは、自分を大事にすること。

ふわっとしていて、自分の気持ちをぶつけることで衝突が生まれる恐怖でいっぱいだった私に、先生は私の「気持ちを伝えない」選択に対し、徹底的に厳しい態度を示した。天才・・・!!

 

【数の暴力・多数決】

小学四年頃、私は自分の意志を示すと、逆側に人がつくようになった。

はやりものがあっても、私がのると、みんながひいていく。

 

・持ってきてはいけないものを持ってきた小6

・【命の選別】はじめての自然教室で、妊娠に悩んだ話

・刃物が手放せなかった中1

 

【中高時代、後輩がついてこない】

部活での人間関係の苦労

●2023年夏?秋?先生「ディフェンスをあげることが大事です」「距離感が近すぎると、このままじゃお母さまはまた被害に遭います」

→「いばっちゃいけない、なめられちゃいけない」

→2023年11月以降、被害ゼロに抑え込むことに成功。

 

【好きなひと①】

「私、好きなひと変わったんだ」

という子供からのつぶやき。→「それは、自然なことだよ。人のいいところを沢山見つけられている証拠だよ」…と私が言ったまさにその翌朝、旦那の浮気が露呈する修羅場にwww

 

【好きなひと②】

●2023年3月

「好きという感情は思った以上に危険。」

【連絡帳記載内容】小学四年生時代、いじめられた記憶にリンク。

加えて、相手を好きになると「征」したくなること。

 

【障害と生きる】

一年通して、あたたかいクラスだった。忘れ物が多い私には、さりげなくSちゃんのフォローが入った。先生の厳しさに毎日心折れた時にはクラスの半数が私をフォローしてくれた。

私の表情の変化に、Kくんが「雰囲気変わった?」とすぐ気づいてくれた。

 

私は死ぬまでケアレスミスからは逃げられない。自閉の特徴も死ぬまでやめられない。

●「自殺ってどうしていけないの?」Aちゃんからの質問

→「遺された、あなたを大事に思ってくれた人ほど、心に重い鎖をぶらさげてしまうからだよ」

 

クラスエピ

SM→お父さんとの関係、「かしこいんだから、その賢さを優しさに生かしな→これがびっくりするぐらい素直にきいてくれる」人間関係・音楽会、最後の葵杯3位の結果に「おめでとう」

AT→ちょっかい、不器用で友達の心を傷つけてしまう自由研究こわされ私と一緒に涙→それでも不器用さを続けるも、ちょっとずつ成長している。

MK→マシンガントーク、次男のとなりがいやだ、次男の面倒をやさしいまなざしでみてくれる、図工の友達になる

EH→最初からずっと優しい。二学期ちょこちょこ登校したくない宣言。兄が怖いことを自分では認められないようなので私が代わりに全力共感→お楽しみ会のエピソードで次男の考えた遊びに賛同してくれる感動会

めがね先生、バレンタイン回ww

えびがらすずめの回

めがね先生ロスの話