↑の、続きです。

 

 

社会人になって約一年半

ご縁があって結婚が決まった時

 

私は、ひとつ

お願いをした。

 

「私より先に死なないで。」

 

 

愛していきたい人

一緒に年を重ねたい人

私を置いて死なないで。

 

私の命の長さは

どうでもいいから

どうか、看取ってほしい……。

 

 

結婚一年後

 

こどもがうまれた。

 

仕事に復帰したら

ただでさえ「落ちこぼれ」は

いよいよ、

なにもかもうまくいかなくなった。

 

退職勧告されて

心身追い詰められた。

 

 

結婚前は

「保険証に傷がつく」とかで

精神科受診を禁じられていた。

 

けれどもう

背に腹は代えられぬ。

精神科を受診した。

 

 

そこで初めて

自分に障害があることがわかった。

 

 

なにやっても

うまくいかないことは

私の努力不足ではないことが

わかった安心感に

ひとしきりひたると

 

 

私にはすでにこどもがいて

私の障害のせいで

子どもが不自由するのではないかという

恐ろしい気持ちになり

 

私はかけていた死亡保険の受取人を

幼い息子の名前に変えて

 

当時、息子を

とてつもなくかわいがってくれた義母に

息子を託そうと思った。

 

息子の好きなもの、成長

息子を育てたノウハウを

遺書に書いた。

 

 

会社のビルの屋上から

飛び降りる日をいつにしようか。

 

考えていた夏のある日

 

 

「ひとりじゃないよ

ぼくがいるよ」

 

 

 

空から声が降ってきた。

 

 

まもなく

急激に体調が悪くなり

次男の妊娠がわかった。

 

 

 

生まれた次男には

私と同じ障害があった。

 

 

 

次男は今年度

小学生になった。

 

言葉の数がぐんと伸び

この頃は

簡単な会話のキャッチボールが

続くようになってきた。

 

 

 

そんななかでの

 

次男「ママが…

長生きしますように」

 

 

 

よく聞く言葉だ。

今も健在の祖母が私がこどもの頃よく

「私、もうすぐ死んじゃうだろうからw」

と冗談を言うたびに

 

「いやだよ、長生きしてよ」

と、本心で伝えていた。

 

 

一方、母は未だに私に毒を吐く。

「私(母)はあんたより長生きすると思う」

 

そう、平気で言えてしまうような人間なのだ。

 

 

 

次男の小学校生活は

私が付き添わないと成立しない。

 

学校は次男と私を裂きたがるが

私からみると、学校のペースは次男が耐えられるペースより早く

学校の「焦り」が、次男の心身に弊害がでている。

 

「次男君は頑張っています。お母さんは、もっと離れる勇気をもってください」

「お母さんが、学校にいてなんのメリットがあるんですか」

 

そういわれて、悔しくて

本当は自分の意見なんて怖くて言いたくないけど

 

しぼりだした自分の意見

「次男のペースと学校のペースがあっていない。

もう少しゆっくり考えていきませんか。」

 

 

でも……。

 

「ここは学校です、学校のルールに従ってください」

 

そう突き放されてしまう。

 

 

季節が寒くなっていくにつれ

先生の態度が異様に冷たくなっていく。

 

思い出したくないが

かつて付き合っていた彼から受けていた態度・言葉の温度が

とても似てきていて

私は一体なんでこんなに

苦しい人間関係を寄せてしまうのかと

涙がとまらなくなった。

 

 

主人の浮気は

私が気づいて1年半を過ぎても

まだ終わっていないことがわかった。

 

 

私の存在が嫌われている。

私のことを簡単に蔑ろにする人が周りに増えていく。

 

 

精神科でもらった半年分の睡眠薬

家の中にばらばらにして隠してある。

 

それを一気に飲んだら

私はラクに消えられるのかな。

そう考える日が増えてくる。

 

 

そういえば、保険金の受取人が

長男だけになっていた。

 

次男も平等に受け取れるように手続きしないと。

保険会社に書類を請求し、手元に届いた。

 

 

でも、思いとどまった。

私がいま、消えたら

次男は学校で、かつての私のように

固く固く心を閉ざして過ごすことになるかもしれない。

 

やっとでかかったコミュニケーションを

あきらめてしまうかもしれない。

 

 

だめだ、生きなきゃ。

学校に行かなきゃ。

 

 

ボロボロになりながら学校に行く。

救いなのは

 

私には冷たい対応する先生も

次男と……クラスメイトには

あまり冷たい態度をとらないこと。

 

 

「私がぜんぶ

先生の不機嫌を受け入れれば、平和だから」

 

 

 

かつて、父の不機嫌、母の不機嫌を

自分に向けてもらって

父母夫婦の円満があった。

 

私が母にいびられている間

妹は自由でのびのびした生活が

保証された。

 

学校で私が通っていたクラスは

私を蔑むことによって

他は安定していた。

 

主人は私に不機嫌をぶつけるときは

息子たちに優しい。

 

 

 

………

 

 

………

 

 

それでいいの?

 

 

 

自分を大事にするって決めなかった?

 

自分を幸せにできない人は

人を幸せにできないんじゃないかった?

 

 

変わりたいんだよね?私。

 

だったら今、

ちょうど目の前に

 

伝えられそうな人が

いるじゃないか。

 

 

ーーーメガネ先生が。

 

そうして伝えた結果が

メガネ先生が全面的に非を認めることとなり

二学期最後の日に

お互い笑顔でバイバイできた。

 

 

けれど

なんとなく、繰り返す気がする。

 

そんな暗い予感が

ぬぐえない冬休み。

 

 

新学期はすぐそこ。

 

 

 

私「ママが長生き……

…そうねがってくれてありがとう

 

ところで、次男はお金持ちになったら

何がしたいの?」

 

 

 

次男「おおがねもちになったらね

ぼく、ママにおかねあげるの。

4人家族で、4つにわけるの」

 

 

私「次男の分は、何に使うの?」

 

次男「メダルゲームで、大量にメダル買う!

3600円分、買う!!」

 

 

さんぜんろっぴゃくえんwww

かわいいなwww

 

 

って、私におかねくれようとしているとか💦

それもそれで、ありがとうww

いつもかつかつだからね💦

 

 

ありがとう。

長生きを願ってくれて。

 

私はよくもわるくも単純だからさ。

ちゃんと幸せに生きようって

思ったよ。

 

自分を大事にする努力は

慣れていない分キツいけど

今年、頑張ってみるよ。

 

 

 

明日が3学期始業式。

 

2学期の始業式の時も

そうだったように

明日が来るのが怖い。

 

でもねわかってる。

 

今までの先生が

ずっとずっとそうだったように

 

先生は、私に

越えられないことはない高い壁を

用意してくれているんだと思う。

 

 

きっと卒業できる。

私は、「大切にされない人」を

卒業できる。

 

先生が壁になっているんだから

きっと本当なんだと思う。

 

 

ーーー頑張ろう。

 

 

おわり。