前回の続きです。



火曜日の朝から

次男の足は曲がっていたけど


ただのびっこだろうと

半分ふざけてるだろうと

放置したのは私です。

※火曜日水曜日は別途体調不良もあって、自宅から授業受けていました。


水曜日の朝

さすがにおかしいと気づいたのはパパで

言われるがまま、病院へ連れて行って


今回のことがわかったのです。




過保護で、心配性な私が

次男の足は、スルーした。


運動会に向けて、

期待して、焦って

いちばん大事なもの

見失っていた。


次男の足の不調は

そんな私の心の隙を

ズバンと突いてきた。




同時に

今まで、自分ばかり責めて

「私が悪い、私が悪いから」

と、なってきた思考回路が


変わっていたことにも気づく。


次男を

ムリに、頑張らせたのは

私だけじゃない。



私はむしろ

事前に、発達障害児にとって

運動会は地獄にもなりえるって

周りにちゃんと、伝えてきた。


パパも先生も

それでも頑張らせるって

言っていた。


先生に至っては

「頑張らせてみて、ダメなら

そのとき考えましょう」


という考え方だった。



ぐいぐいぐいぐい……


運動会に限らず

良くも悪くも

先生のこの考え方で


次男は、伸びたところもあった

次男が、苦しんだこともあった


私は次男の苦しみをみて

もうだめだってなったとき


先生と何度もぶつかって




次男の代わりに


先生からキツい言葉をうけて


先生から怒りの目を向けられて


時に、先生の心からの謝罪を

うけてきた。



今回もまた

SOSだ。

原因不明だとはいえ


私が思ったことは

ちゃんと伝えなきゃね。



原因不明だとしても

私が思った気持ちは

本当のことなんだよ。


いままでさ、根拠がないと

自分の気持ちに自信をもてなかった。

でも、私はいま

先生にちゃんと伝えたい。


私の、きもち

私の、意見。


次男の意見とあわせた話じゃなくても

先生のご指導方針を

かんがみての意見じゃなくてもいい。


先生には

この前の面談で


これからは

純粋に私の気持ちを

ぶつけていくと

宣言した。





木曜日朝。


連絡帳に書いて、

担任の先生に出しました。


「次男の足を壊したのは、  

私を含めた

過剰な大人の期待だと思います」




もういいの


「根拠は?」

と、聞かれても


「ありません。」


で、いい。





生きていて35年間。


こんなに自分のことを

きちんと伝えたいと思う人って

いただろうか。


こんなに自分をぶつけていきたいと

心から思ったことなんて

なかった。



先生はどうしてか

生きていく中で

私に必要な「挑戦」を

ちょうどいいタイミングで

差し出してくれる。




下半期

相変わらず私は


先生に

がっつり育てられています。


つづきます。