月人 * とよつき * 拾肆月 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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五月やみ 
あやめも分からぬ 道筋も
尋ねて歩め おぼろ夜の月

野中婉
(『安履亭文書』より)



( 野中婉 役・岩下志麻 『婉という女』1971年作 )



これは
親戚の娘が後妻として嫁ぐときに
野中婉が贈った歌だそうです

五月闇さつきやみ
今でいう梅雨のころの暗闇のこと
文目あやめ
あや織物の織り目のことですが
物事の道理という意味で使われます




🌿
五月闇のように
どうなるかわからない道でも
歩いていってくださいね
おぼろにかすんでいる月をたよりにして
🌿
彼女自身も
このような思いを抱きながら
人生を歩み続けたのでしょう






土佐藩家老
野中兼山の娘として生まれた彼女は
父の失脚に伴って
四歳から四十年間もの間
獄中で過ごさなければなりませんでした
兄弟姉妹が次々と亡くなっていく中
彼女は生き残り
女医となるのです

想像を絶する彼女の一生
でもおぼろ夜の月
心に抱き続けたからこそ
生き続けることができたのかもしれません





現代は目標
同じような意味で使われていますが
私は
とは
このおぼろ夜の月のようなもの
だと思っています
はっきりとした形があるものではなく
将来のあたたかいイメージ映像の
ようなものだと

具体的な目標だけを追いかけていると
自分を見失ってしまいがちです
達成できなかった時だけでなく
できた時でも

そんな時
たとえおぼろげでも
遠く光を放つ月のような夢を
どうか思い出してくださいね




のなか・えん
江戸時代中期の医師

万治3年(1660)
享保10年(1725)12月29日



高知藩士の父・野中兼山が失脚し処罰

連座して
以後四十年間幽閉されます
婉はその間も学問を怠らず
谷泰山より儒学や詩歌、書を学びました
元禄十六年にようやく許されて
郷里で開業します
終生結婚せず亡父らの鎮魂に
努めたといわれます


野中婉女史の画像が無く
『婉という女』の岩下志麻女史の
画像をお借りしております
こんばんは✨✨✨✨
月人🌕に触れて下さって
ありがとうございます

元旦🎍  突然襲った天災
能登半島地震で
被災された方々にお見舞い申し上げます

これ以上被害が広がらないよう
祈っております






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