月人 * とをつき * 拾月 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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自分の欠点を逆に生かす

杉野芳子
(『炎のごとく』より)



杉野芳子は
きっと何かに出会えると思って
アメリカに渡ったそうです
そこで
まず困ったのが服装
小柄な彼女に合う服はなく
自分で作るしかなかったとか
そのことが
やがて
ドレスメーカー女学院
通称ドレメの創始者への道へと
つながっていくのですね


1916年 (大正5年)
クリスマスパーティでスタンフォード大学出身の
建築技師杉野繁一とめぐりあい翌年結婚
繁一は30歳、芳子は25歳


洋服が作れるようになっても
彼女は
私は洋装タイプではない
コンプレックスを感じていたそうです
そして
何とか似合う服をと工夫するようになります


1926年 (大正15年)
ドレスメーカースクール👗を始める
生徒はたった3人
11月2日上大崎に移り
ドレスメーカー女学院と改めて授業を開始する
生徒は13人となります
わかりやすい教育法の創案
視覚に訴える教育を目指します
1931年 (昭和6年)
卒業式後
自作のパーティドレス👗で装った生徒たち
当時の速成科80名全員が
卒業制作にドレスを作りました
1932年 (昭和7年)
開校7年目学校の発展に伴い
夫繁一を理事長に迎えて協力を得られるようになります
以後校舎や体育館、衣裳博物館、
夫妻の自宅(現・杉野記念館)等を設計・建築しました
芳子は教育一筋に打ち込みます


彼女のすばらしいところは
その先です
背の低さを強調してしまうケープ
それを逆に利用して
小柄な彼女の動きが美しく見えるものを
作ったというのです


1935年 (昭和10年)
日本で最初のファッションショーを
日比谷公会堂で開催します

欠点を生かそうと考えたことで
彼女は大きく飛躍することができたのですね
周囲にも認められ
自信を持つこともできました

私たちは
長所を伸ばし
短所を押さえるようにと考えます
特に
欠点は
隠したいと思うもの
でも
見方
やり方によれば
欠点も
魅力に変えることができるというのです

なんだか
自分が欠点だと思っている部分と
仲よくつき合っていけそうな
気がしてきました


すぎの・よしこ
服装デザイナー
教育者
明治25年(1892)3月2日
昭和53年(1978)7月24日


大正十五年にドレスメーカースクール
(のちにドレスメーカー女学院と改名)を開校
昭和七年より夫が学院理事長に就任し
夫婦で学院運営を行いました
デザイナーとしても評価は高く
数々の賞を受賞しました


🌕

🌿

おはようございます
晴れ

光のカケラ🌕に 触れて下さって

ありがとうございます

新しい職場・大竹ダイセル工場🏭で

フル稼働の乱蔵🐯でした

:;(∩´﹏`∩);:🐯

しかも

ダイセル工場🏭 スマホ持ち込み禁止のルール

ガーン

この規約は 今後緩和されるそうで

スマホ📱持てるかも?

自宅にスマホを置いてのJR通勤

朝5時起床 夜7時帰宅 9時就寝

ふとん1
の新生活がスタートしました

そんな環境の中で 

なかなかブログ📝を届ける事が出来ない乱蔵🐯の

光のカケラ☆が先日


アニメ・マンガレビュー記事ランキングを

頂きました

動かぬ乱蔵🐯のカケラ🌿に

触れて下さったみなさん🍀

本当にありがとうございます

🙇‍♀️

いつも思うのですが

光のカケラ☆は 言の葉🌿

『仮面ライダークウガ』は 特撮🎞

ランキング記事とは異なるテーマ?なので

そろそろ マンガ📚レビューを 

届けてみたいと思います

その時は また 気軽に触れて下さい

照れ

画像

Pinterest   Google  より

お借りしております





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