月人*ひとつき*壱月 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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☆光のかけら☆

ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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🌕
すてはてんと
おもふさへこそ
悲しけれ
君に馴れにし
我が身と思へば

和泉式部
(『後拾遺和歌集』より)
🌕



これは
和泉式部
敦道あつみち親王に先立たれたときに
詠んだ和歌です

恋多き歌人と呼ばれた彼女が
生涯で最も愛した男性と思われる
敦道親王
彼が亡くなったとき
彼女は出家しゅっけしようと考えます

当時
出家は
「世を捨てる」
といわれていました
家を捨て
世俗的なもの一切から離れて暮らす
それは
ある意味
大変「死」に近いことだったと思われます

でも
和泉式部
思いとどまりました

「愛する人が馴れ親しんだ我が身だと思うと
自分自身を捨ててしまおうと思うことの方が
悲しい」

愛する人の形見はいろいろとあるでしょう
でも一番の形見は
生き残った人たちだといえないでしょうか
その形見である自分自身を大切にしようと
思い直したのですね
そう思うと
私たちも
誰かの形見だといえるのではないでしょうか
私たちの中には
たくさんの人の魂が
生きつづけているような気がします
このあと和泉式部
敦道親王を偲ぶ歌を二百数十首も
残しています

彼女が生き続け
彼を思い続けることによって
敦道親王
時を超えて生き残ることができた
いえるでしょう


いずみしきぶ
平安時代中期の歌人、日記作者
生没年不詳
長徳二年(九九六)頃に結婚した橘道貞が
和泉守に任ぜられたため
これにちなんで和泉式部とよばれています
のちに道貞と離別した和泉式部は
師宮敦道親王と恋に落ち
その出会いから親王邸に引き取られるまでを
『和泉式部日記』に描きました
また歌集に『和泉式部集』などがあります


🌕
おはようございます
乱蔵🌕です
光のかけら☆ 拾って下さって
ありがとうございます
照れ
連日コロナウイルス🦠拡大の報道が続いていますが
広島もヒタヒタと足音が大きくなって来ました
感染し闘っておられる方々が
一日も早く笑顔🌕になられますように
乱蔵🌕もリンパ球🦠と毎日闘っています
病気の辛さ★怖さは実感しています
ショボーン
乱蔵🌕も外出自粛 デス
そんな日曜日ですが
笑顔🌸咲く一日となりますように
お願い
イラスト
Pinterestよりお借りしました







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