『メリー・ウィドウ』(ドイツ語: Die lustige Witwe, 英語: The Merry Widow 日本語に訳すと「陽気な未亡人」)
3幕からなるオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ(ドイツ語版))
日本ではもっぱら英訳の題名「メリー・ウィドウ」で呼ばれている。
• 作曲:フランツ・レハール Franz Lehár(1870年4月30日 - 1948年10月24日78歳)
• 原作:アンリ・メイヤックHenri Meilhac(1831年2月21日 - 1897年7月6日66歳)
『大使館付随員』(L'Attache d'ambassade)
• 台本:ヴィクトル・レオンViktor Léon(1858年1月4日-1940年2月23日82歳)
・台本:レオ・シュタインLeo STEIN(1861年3月25日-1921年7月28日60歳)
「メリー・ウィドウ・ワルツMerry widow waltz」は、原題を「Lippen schweigen唇は黙して」といい、
第3幕で、ダニロとハンナの二重唱として歌われます。
メリー・ウィドウ 二重唱 「唇は黙して」 トマス・ハンプソン & カリタ・マッティラ - Bing video
対訳:『とざした唇に (メリー・ウィドウ・ワルツ)』歌詞と解説(作曲:フランツ・レハール) (celebbeanz.com)
日本語の訳詞は、JASRACに登録されているだけで「メリー・ウィドウ・ワルツ」という題名で検索すると13通りもあります。
堀内 敬三
滝田 順
安田 直弘
岩谷 時子
滝 弘太郎
高田 三九三
白井 鐵造
柳沢 保篤
佐伯 孝夫
あらかは ひろし
鈴木 英史
玉木 宏樹
野上 彰
(敬称略)
Precious☆メリー・ウィドウ・ワルツ(唇は語らずとも) - Bing video ・・・堀内敬三訳
藤山一郎 メリー・ウィドウ・ワルツ. - Bing video ・・・佐伯孝夫訳
ところで、音源がネットで見つからなかったのですが、サトウハチロー訳で奥田良三さんが歌っている「メリー・ウィドウ・ワルツ」は
ワルツと言いながら四拍子なのが、なんとも不思議です。
JASRACに登録されている中のいくつかに
「正題」として「O KOMMT DOCH O KOMMT IHR BALLSIRENEN」と書かれていますが、
これは
第1幕に歌われる
「Damenwahl! - O kommet doch, o kommt, ihr Ballsirenen」のことだと思われます。綴りが1カ所違いますが。。。
「Damenwahl」とは「女性がダンスのパートナーを選ぶ」という意味だそうです。
Damenwahl(ドイツ語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 独和辞典 (kotobank.jp)
歌詞
Franz Lehár – Damenwahl Lyrics | Genius Lyrics
作曲者のフランツ・レハールはオーストリア=ハンガリー帝国生まれの作曲家。
1905年の『メリー・ウィドウ』で一躍人気作曲家へ。
彼の妻のゾフィー(旧姓パシュキス)は結婚とともにカトリックに改宗したとはいえ、ユダヤ人でした。
にもかかわらず、1938年3月にナチがオーストリア=ハンガリー帝国を併合した後もナチ政権の庇護を受けたのは
「メリー・ウィドウ」がヒトラーの好きな作品のひとつだったからだそうです。
レハールはヒトラーに「メリー・ウィドウ」のスコアを贈ります。
以下はWikpediaの文章をそのまま引用します。
「ユダヤ人作家フリッツ・レーナー=ベーダ(ドイツ語版)は、ナチスと親しいレハールを頼る事で強制収容所送りを免れようとした。
しかし、レハールはナチスに妻のことを持ち出されて、この件に口出しすることを禁じられ、結果レーナー・ベーダは強制収容所に送られて1944年死亡したとされている。この一件以後レハールは終戦まで沈黙を余儀なくされた。
レハールは政治に関してほとんど無関心であったにも関わらず、戦後もレハールはこの一件によって「ナチスへの協力者」として、オーストリア及び西ドイツで非難される事となった。」
レハールは終戦から3年1948年に亡くなっています。
戦争中にドイツに協力したと見なされた者は終戦後、大変なバッシングを受けています。
彼も戦争で大きな不幸に見舞われた一人でしょう。
台本はヴィクトル・レオンとレオ・シュタインの共作です。
ヴィクトル・レオンは、オーストリア=ハンガリー帝国生まれのユダヤ人の台本作家です。
しかし、1938年、ナチスの併合により、ユダヤ人であるが故に財産を没収され、
1940年、82歳の時、隠れ家に潜んだまま餓死しています。
オーストリア人のレオ・シュタインは、1921年に60歳で亡くなっています。
ナチの併合を見る前に亡くなっています。
レオ・スタイン(作家) - ウィキペディア (wikipedia.org)
「陽気な未亡人」という美しいメロディーのオペレッタの影に
悲しい物語が潜んでいたことを初めて知りました。