就業規則、雇用契約書もしっかり作っていたはずの当院。
うちほどうまくいっているクリニックはないと信じきっていたあのころ。
スタッフは、もっと賃金を上げよ、休みを増やせ、というのが根本的な要求だったのかもしれない。
(最低の労働で最高の給与をもらおうとするもの)

それよりもむしろ、自分たちがまとまるために、共通の敵の存在が必要だったのだろう。
院長は男でしかも雇用者なので敵に回したくはない、それならば奥さんを・・そんな気持ちだったのかもしれない。
(当時の私は「存在不安」があり、いつもスタッフの顔色伺いしていた。いじめる標的として最適?だったのかもしれない)←この頃のほうが可愛げがあったという説もあり(フン!)

そうなってしまった原因は色々あるが、一言でいえば、雇用者である私たちの意識不足・経営力不足にある。

私たちの雇用者としての自覚のなさ、フレンドリーな同僚感覚が、労働者であるスタッフの力を助長させたことにあると言える。

そう、支配力が絶大だった織田信長が、家来が増えるにつれ、「あの家来は裏切らないだろうか」「この家来は本当に私を信頼してくれるだろうか」と考えるうちに、いつの間にか家来に支配されてしまっている「共依存」のようなものだ。

もっとも、私達には支配力は欠落していたのだが(汗)

休憩室から「全員で辞表を出したらどうするつもりなんやろ?」「うちら辞表出して誰も出勤しなかったら、あせるやろうね~」と笑いながら聞こえよがしに話していて胸が張り裂けそうだった。

スタッフ全員辞めるかもしれない、明日の朝、机の上に全員の辞表が並んでいるかもしれない、誰も出勤してこないかも知れない・・・

そして主人と私で覚悟を決めた。これ以上、スタッフの要求はのまない。「夫婦二人でやっていけばいい」

私は医療事務も勉強していたので、受付、レセコン入力、レセプトは何とかなる。
主人は診療と点滴や処置もして、診療を縮小してでも、家族が生活できればそれでいいと。

ここの治療が受けたいといってくださる患者さんを一人でも大切にし、その方々の治療に全力投球させていただければ幸せだと。

このことは私たちを原点に戻してくれた。

そして、世間でイメージする「開業医の奥さま」にとらわれないで生きていこうと。

学歴のなさは、いろいろなことに新鮮に向き合うことのできる宝となったし、世間体を気にする私は、相手の顔色を察知できる、相手の気持ちの動きを察知できる武器となった。
カウンセリングを受け、また自分も学び、病気に対する不安を抱える患者さんの気持ちに寄り添う働きも微力ながらできるようになった。

カタカナだらけでわからない薬品も、実物と納品書を見て、夫に聞き、「今日の治療薬」をひも解いて最低限のものは理解していった。

            やるしかない。

明日の朝には、院長室の机の上に、スタッフ全員の辞表が並んでいるかもしれない。「スタッフがやめましたので休診します」なんていうことをやるわけにはいかない。患者さんを大切にするまごころ込めた診療をしていきたい。

こんなことがあって、「お前はなにもしなくていい」と言っていたはずの開業なのに、どっぷり経営にまで口だしする(ってか、実質的な経営者ってワタシ?笑)奥様に変身してしまったのだ。

まあ、いいや。仕方がない。こうするしかなかったんだもの。
結局、落ち着くまでには年単位の時間がかかった。(詳しくは職員一掃物語をどうぞ~)

顔の腫れはひいたものの、体にはいまだにあの頃のぼろぼろになった皮膚が一部残っている。
つらかったな、あの時期。でも、あの時期があるから今があるんだな。
そう思えるまで、本当に長い時間がかかったな。

経営者としての自覚、雇用者としての自覚(線引き)をちゃんと持っていれば大丈夫です(^^)v