GReeeeN「HIDEの人生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」byアメブロ-IMG_0002.JPG
どうも。


なかなかのお久しぶりにございます。


お待たせ致しました。


というより、僕が待ちました。


インターネットさん、御復活でございます。


私の携帯はタッチパネルというやつでございまして、なかなかどうして、


メールを作るのが厄介。


2~3行が限界にございます。


あれもこれも書きたい!という時は、1度パソコンでメールを作って、


それを携帯に送り、携帯で写メをとり、ブログにアップする。


このような手順でやってまいりましたため、インターネットがストップしてしまいますと、


かなり厳しい訳でございます。


が、やっとこさ、皆様にこうしてお話を再開出来る状況を嬉しく思っております。


さて、あすからまた日常の再開ですな。


しかし!!!1weeeek乗り切れば夢のシルバーweeeek!!!!


頑張って参りましょう!


で、皆様覚えておられますでしょうか??


歴史の授業の再開です!


遂に突入『関ヶ原の合戦』篇。


東の総大将、『徳川家康』


西の総大将、『毛利輝元』と見せかけて『石田三成』という流れは分かりましたでしょうか??


で、『毛利』自身は大阪城にて、『豊臣秀頼』の警護にあたるため、


養子の『毛利秀元』を関ヶ原に向かわせたわけです。


東西合わせて20万人の大戦!!!


何年もかかる大戦になるであろうと予測されておりました。


結果は東軍『徳川家康』の勝利に終わる訳ですが、


戦が始まるまでは、実は西軍が勝つと言われておりました。


それはなぜかと言いますと、


家康が陣を張った場所が、西軍に取り囲まれた真ん中でありまして、


四方八方が一気に攻め込めば必ず勝てると言われておった訳です。


さあ、ここからが、現代の日本にまでつながる深い闇の話でございます。


真ん中で取り囲まれた東軍。


正面には『石田三成』、雷神と恐れられた『大谷吉継』(石田と大谷の泣ける話もあるんですが、また今度。)、


鬼島津で有名な『島津義弘』などが陣を張り、


側面には豊臣秀吉の甥っ子『小早川秀秋』が大軍を率いて睨みを利かせ、


後ろからは『毛利秀元』、さらにその後ろに四国最強『長宗我部元親』が鎮座するという、


誰がどう見ても勝てる戦であった訳です。


しかし、『徳川家康』は裏工作が大得意。


彼の卑怯な裏工作により、雲行きがおかしくなります。


まず、正面同士の戦が始まります。


大谷軍や石田軍は真正面から突っ込みます!


しかし、後ろに居るはずの毛利軍が動きません。


実は毛利軍にいた、参謀の『吉川広家』という男が、


徳川に「もしこの戦で東軍に力を貸すなら、毛利が西軍の総大将になった事すらとがめず、さらにいい地位の場所に置く」


と、いわれ、毛利家を思い石田三成を裏切ります!


『毛利秀元』は戦をしにきているため、やる気満々だったのですが、吉川が「石田から連絡が着たら突入しましょう!」


と言い、時間を稼いでいた訳です。


で、毛利軍の真後ろにいた『長宗我部元親』の軍も、毛利が動かないため、動けない。


側面に居た『小早川秀秋』は馬鹿で臆病者で有名。権力だけのボンボンですな。


決断を下せないで居た訳です。


そして、最強の軍団として恐れられていた鬼島津も動かない!!!


豊臣のために戦に来たのに、総大将の『毛利輝元』と、『豊臣秀頼』が居ないとは何事だ!という理由らしいです。


大丈夫??みなさんついてこれてます??


つまり、西が勝つはずだったのに、色々あって東に流れが行ったという訳です。


話を戻します。で、その戦で大軍を率いていたにもかかわらず動かななった『小早川秀秋』に対し、


家康は銃や大砲を打ち込みました。


『小早川秀秋』はそれが怖すぎて、家康の味方に一瞬でついてしまいます。


豊臣秀吉の甥っ子なのにです。。。。


何年も続くと言われていた戦は半日で終わってしまいました。


東軍の大勝利です。


信じていた仲間に裏切られながら、豊臣家への忠義の名の下のみに戦った西軍は次々と討ち取られていきます。


四国の『長宗我部元親』後の『土佐』、中国地方全土を支配していた『毛利輝元』後の『長州』、鹿児島の『島津義弘』後の『薩摩』は


戦わずして敗北者となり、逃げ帰るしかなかった訳でございます。


こうして長く続いた『戦国時代』が終わり、『江戸時代』へと突入して行く訳です。


戦が終われば勝った側のやる事は1つだけ。


負けたところの領地を没収して、勝った側の家来に分けるのみ。


『土佐』の長宗我部は追放となり、新しい領主の『山内一豊』が来ます。


元来、土佐の人間は義理人情に厚く、今まで慕ってきた長宗我部を追い出した山内には一切なつきません。


で、言う事をきかない土佐の人間に腹を立てた『山内一豊』はもとから自分の家来だった人間を大量に土佐に連れてきて、


自分の家来で周りを固めます。この、連れてきた人間達を『上士』とし、長宗我部の家来だった人間を『郷士』としました。


ここにもの凄い差別を生じさせます。『上士』が道を歩いていたら、『郷士』は履物をぬいで、通り過ぎるまで土下座です。


坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎、などはみな『郷士』です。


話は変わり、西軍最大の毛利は吉川の働きで、いい条件で徳川に着く予定でしたが、そんなうまい話ある訳も無く、


領地は没収、今の山口県の一部へと追いやられて行きます。


その決定を聴いた吉川は家康の目の前で切腹して抗議しますが、無駄におわります。


鹿児島の島津は日本の端っこであるため、そこで一生じっとしている事を条件に御家とりつぶしだけはさけました。





ふー、長かったですね。


つまりです。関ヶ原で苦渋を飲んだ三つの藩『土佐』、『長州』、『薩摩』が抑圧され続ける事300年。


300年経った後、


『土佐』からは坂本龍馬、武市半平太、板垣退助(上士)、岡田以蔵、中岡慎太郎、後藤象二郎(上士)、岩崎弥太郎など、

『長州』からは吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、大村益次郎など、

『薩摩』からは西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬など、


これら、皆さん一度は耳にした事があるような方々が一気に幕末に出てきて、江戸時代を終わらせ、

明治時代へと突入して行く訳です。



なんの偶然か、関ヶ原で大負けした側が、300年後に一気に時代を動かす。


ロマンです。


そんな昔の話ではないんですよ!江戸がおわり、明治、大正、昭和、平成ですからね!!!


僕は昭和55年生まれですから、約100年程前の話ですよ!


ふー、熱くなってしまいました。


長過ぎてすいません。


お時間のある際に読んで頂ければ結構ですので。


それではまた。。。



ちなみに本日の写真は、掃除がやっと終わった我が家のスタジオです!


パソコンの画面に『High speed boyz』が写っております。


兄のJINがボーカルをしております。


ウルトラかっこいいBANDですので、是非聴いてみて下さい!!!

、、、、、おやすみなさい。