GReeeeN「HIDEの人生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」byアメブロ-L8520323.JPG
コンバンワ。


仕事が始まり、1週間。


なかなかどうして、大変でございます。


さて、皆さんご存知かと思いますが、先日高知に行って参りました。


多くの友達に久しぶりに会えました。


11年ぶりのやつもいましたが、


実際に会ってみれば、時の流れなど存在しなかったかのように、


いい意味でいつも通りでした。


本当にいい仲間に囲まれて、幸せな学生生活を送っていたんだなと実感いたしました。


まだ学生の皆さんは、確かにやるべきことは一杯あるでしょうが、


ふとした瞬間の匂い、音、夕焼けの色、体で感じる温度、


すべてが未来のあなたの肥やしになります。


今しか感じれない感覚を心に刻んでおいてください。


それが優しさにつながる気がします。


あと、高知に私のサインを残して参りました。


親友の親父さんが、『DUKE』という高知で有名なCDショップの店長さんと友達ということで、


サインを書かせていただきました。


あと、別の親友の実家がやっているホルモン焼き??のお店の壁にも書いてございます。


ちょうど座った席の横の壁に書かれておりますので、


焼き肉でも召し上がりながら、ご覧になっていただけたら幸いです。場所は帯屋町の端とルイビトンの間です。


さあ、今日からしばらくは、私の独断と偏見が入りまくった、偏った知識の社会の授業を行いたいと思います。


私が、13歳で親元を離れ、高知県に行ったのは、


とある男に興味を引かれたからでございます。


『坂本 龍馬』


彼を語るにはかなりの時間が必要です。


時をさかのぼること427年前、1582年、


京都にあります本能寺にて、天下統一目前の織田信長が明智光秀によって殺されます。


有名な本能寺の変ですね。


ん?そこから??


そうです。だから長くなる訳です。


本当に明智単体の事象であったかは諸説ございますが、


なぜか最高のタイミングで中国大返しを行い、光秀を討つ為に1番に京都に帰り着き、


光秀を討ったのが、あの豊臣秀吉となる訳です。


秀吉はその後、信長の仇を討ったという御免状を武器に天下を統一していく訳でございます。(関白ですな。)


さあ、ここで龍馬の話に少し戻りましょう、


龍馬の一族、坂本家の家紋は桔梗。明智の家紋も桔梗。


明智の居住していた城の名前が『坂本城』。


何か関連がありそうですね、、、。


続く。