こんにちは。
昨夜は別の書き物があり、気づけば午前の患者様の約束の時間…
外は今日も風が強いです、徹夜明けふらふら状態には
まっすぐ歩くのも辛かった~。
「遂に主治医からさじを投げられてしまいました」
『あらあら、どんなお話をされたんですか?。』
「これ以上の治療は無理だと、緩和を考えたほうがいい、と。」
そんな話から、今日は始まりました。
【さじを投げる】
がんという病気の治療には、常に付きまとう言葉。
私は、仕方のない事だと考えています。
それは、
『ドクターは魔法使いではない』
からです。
技術がものをいう外科については、少し当てはまらないかも知れません。
ですが、病気やケガに共通して、ドクターが行う事は、
【患者の状態を的確に判断し、有効な治療法を選択する】
こと。簡単に言えば、
【症状にあったお薬を処方する】
事が大半だと思います。
治験・臨床といった過去のデータから、最も有効であろう治療法と
薬剤を選択し、それを 【試す】 のが、医療現場の大半の
流れ、ではないでしょうか。
はっきり言うと、
【効くか否かは、やってみないと分からない】
先日の 【運】 の話が、やはりここでも出てきます。
ドクターも、基本手探りなんです。
抗がん剤と言うのは、専ら 【細胞毒】と言われる危険な薬剤です。
そんな過酷な治療を、いつまでも手探りで続ける訳にはいかない、という
判断を下さざるを得ないタイミング、つまりは罹患者の体力、進行具合
などによって、 「さじを投げる」 のです。
『投げられたさじは、どこにあります?。』
「はい?」
『まだ診察室に落ちているなら、拾って来ましょうか?。』
「いえ、あの…」
『じゃあ、さじを拾って、次は私が賽を投げましょう!。』
私はだいぶ真面目に話してるつもりですが、まぁ、ふざけてると
思われるでしょう。
『主治医は魔法使いではありません、医師です。』
『主治医は、【数値的】に治療の中止を判断されただけです。』
『それで、悲しいかな他に選択肢をもっていないだけなんです。』
『それは、主治医が【医師だから】なんですよ。』
ドクターには、医師法により厳しい制約が多々あります。
人の命を預かるのですから、『当たり前』の話ですね。
【やりたくてもやれない】
のだと私は思います。
『ここから先、標準治療で疲れた体で試せる事は多くありません。』
『それでも、選択肢は結構残されてると思いますよ。』
『肝心なのは、ご主人と奥様の、何をどうしたいか、ですからね。』
『出来る事でやりたい事をを最大限やっていこう!、というお気持ちなら、一緒に最大限闘いましょう。それが、 〈さじを拾い、賽を投げる〉 と言う事ですよ。』
治療の中止と緩和のススメ、私は、この医療現場の 【限界】 が、
がんという病気の末期という状態を、
【 ≒ 死 】
というネガティブなイメージ形成の 【因子】となり、更にそこから
心理的ストレスによる意欲の低下、つまりは 『負の連鎖』 の
【因子】 となっていると考えています。
私は医師ではありません、魔術師です。(笑)