新年に富士を望む ~日本人の信心について~
武蔵野の、
私の住んでいる近辺には、
「富士本町」とか
「富士見台」、
「富士見町」、
「富士町」 などと、
富士のつく地名がたくさんある。
そこから富士山が望めたから、
そのような名前が付いているのだが、
今では、
ビルや家屋が立ち並んで、
残念ながら
地表から富士を望めるところは少なくなった。
それでも、
こんなところからなら、
天気が良ければいつでも見える。
JR中央線、国立駅ホーム。
昨年中央線は
すべて軌道が高架化され、
ホームが一段と高い所に設置された。
改札からの登り下りは、
高くなったので大変な人もいようが、
その分眺望は良くなった。
そしてそこから
新年に
居ながらにして富士を望める。
オレンジラインのJR中央線。
これは西の方(写真右)へ向かう電車。
私が立っているのは、
東京方面へ向かう電車のホーム。
そのホームの端の方から、
西南西の方に目を凝らせば、
遠く富士の霊峰が見えるのにお気づきだと思う。
写真中央の山です。
正月3日の午後なので、
日射しが西に傾き、
全体が陰になって
残念ながら
雪を抱いた様までは分からないが、
朝のうちなら、
白い帽子もはっきりと見える。
肉眼では写真のような見え方だが、
カメラで引き寄せると
このようにくっきりと確認できる。
今の今、
この山に冬山登山をしている人もいるだろう。
私も夏に
過去3回登頂したことがあるが、
山としては
普通の人でも容易に登れる山なので、
登ったからといって
そんなに大きな喜びがあるわけではないが、
何と言っても日本一高い山、
日本人として、
生涯のうちに一度くらいは、
その山の頂に立たないと、
日本人としての誇りが許さない。
「富士山を極めずに何の日本人か」
そんな意気込みからの喜びはあった。
それよりも、
「富士山頂にまた来れた自分の健康を喜びたい」
そんな喜びの方が強かった。
若い頃
生死をさまよったほどの大病を患った体だから、
なおさらその思いが強い。
その富士山を遠望しながら、
原発の被害の少ないことを祈る。
日本人は
無宗教といってよい程の信心のなさだから、
その分
富士山でも、
ご来光でも、
海の人なら恵比寿さんでも、
農家なら田の神様でも、
そして、
人なのに神に祭り上げられている
湯島天神の菅原道真でも、
明治神宮の明治天皇でも、
203高地攻略敗軍の将乃木希典でも、
何にでも、
だれにでもお願いをする。
だから、
余り効き目は期待しない。
日本人の祈りは、
自分の気持ちの
自己満足を得るための行為にすぎない。
否、
祈らないと
自分や家族を
不幸が襲うかもしれないという不安から、
逃れたいためだけの行為かもしれない。
「神は信じるものにして頼るものにあらず」 とは、
当代一の武士の言葉。
転じて
「信じる者は救われる」
大乗仏教他力本願の宗派の教え。
日本人には、
宗教としてではなく
このような安易な考え方が染みついてきているから、
いざという時に
まとまりがなさそうで怖い。


