クマンバチ飛行せず ~秋は命の引き継ぎの時~
秋は、
命の引き継ぎが行われる時。
決して
命の終わりの時ではない。
葉っぱの紅葉や落葉は、
その根もとに
新しい命が誕生したからであり、
花の終わりも、
その根もとに、
新しい命が結実したからである。
年を越せない生き物たちが、
冬を前に、
命の終わりを見せるのは、
立派にその使命を果たした後である。
クマンバチ。
スズメバチより強そうだが、
だからと言って
人にはめったに害を与えない。
「クマンバチの飛行」という音楽は、
おそらく誰でも知っている
それはそれは爽快な音楽である。
決して
スズメバチの飛行なんて音楽はできない。
そのクマンバチにも、
世帯交代の時期が来ている。
庭の駐車場で作業をしていると、
見なれない蜂が現れた。
見なれないといっても、
これがクマンバチであることは
一目見れば良く分かる。
ただし、
図鑑の絵とは
羽の痛みが随分違う。
多分
ここで朝早くから
もがくだけもがいて
羽を擦り減らしたのだろう。
片羽の
3分の1以上は消失している。
飛び上ろうとするが
当然飛び上れない。
これだけ羽を消失すると、
いかに効率的な羽ばたきをする蜂でも、
飛び上ることはできない。
バランスを崩してひっくり返るが、
生きようとする執念で起き上がり、
また飛ぼうとする。
でも、
無理なものは無理。
しかし蜂には、
その道理が分からないから、
力を使いつくすまで
とにかく努力をする。
人から見ると
無駄な努力であるが、
自然は
生きることが最優先で、
将来のことを簡単には判断しない。
そうやって力尽き、
そして生涯を終えるのだろうが、
人はここまで
生きようと努力するだろうか。
奇跡はいつだって、
無心に努力しているものに発現する。
大体、
人の飛行力学から判断すると、
蜂の筋肉と
蜂の羽の大きさでは、
どのように高速回転をしようが、
飛べる理屈が成り立たない。
それでも自然は偉大である。
人の力学に関係なく
蜂は飛ぶ。
筋肉の生理学的働きからだと、
一秒間に何百回もの羽ばたきは
どうしても不可能になるのだが、
でも蜂は飛ぶ。
人は、
体内の脂肪を燃やしてエネルギーに変換するが、
その過程で、
いったんグリセリンに替えてから
更に分解してエネルギーを生み出す。
その時に
乳酸が発生するため、
筋肉疲労を起こし、
そのため、
継続した力が出ない。
ところが
蜂の仲間は、
直接脂肪を燃やす機能を持っているので、
どれほど運動しても筋肉疲労を起こさない。
この仕組みが
蜂の高速回転と
1日に100km以上を飛ぶ
恐るべき継続飛行を可能にしている。
そんな蜂が
もう飛べないのだから、
よくよくのことだろう。
おそらく、
この状態では、
今日を生き抜くことも難しい。
人に
蜂の延命などできっこないのだから、
というより、
延命とういう行為が
命をつかさどる
神の領域を犯すから、
それは
行うべきではないのだと思う。
いろいろと
考えさせられる
クマンバチの出現であった。



