ツクツクボウシ出現 ~命について考える~ | Totoronの花鳥風月

ツクツクボウシ出現 ~命について考える~


小学校の頃、


夏休みには


良く昆虫採集をした。





トンボなどは


何十匹も籠に入れて、


翌日にはほとんどが死んでしまうのに、


やはりまた


翌日には


トンボ捕りをした。






加賀の千代女は


トンボ捕りではなく、


トンボ釣りとして歌を読んでいる。





その頃は


きっと網ではなく


竿の先に結んだ糸に、


虫でも結んで


トンボを釣っていたのだろう。




「とんぼ釣り 今日はどこまで行ったやら」






この歌が、


実は自分のかわいい息子は、


この時もう亡くなっていて、


それを認めたくないため、


「今日もトンボ釣りに行っているからここにいないだけなんだ」、と


無理に思おうとしている


さびしくも悲しい


自分の心情を歌った歌である、


ということを知ったのは、


随分成長してからのことであり、


ショックであった。







さて、


昆虫採集。




鈴虫も



鳴き声を頼りに


懐中電灯で探し出し


石垣の中から割りばしで、


封筒の中に追い込んで捕まえたものだった。





蝉も


アブラゼミはいくらでも捕れた。






クマゼミがカッコ良くて


捕りたかったが用心深くて


なかなか捕れず、


とった時には嬉しくて、


手の中で鳴かし、


その激しい震動を楽しんだ。






一番欲しくて捕れなかったのが


ツクツクボウシ。






私にとってこのセミは、


夏休みの間ではなく、


いつも夏休みが終わる頃出現し、


そして、


太陽が傾きかける頃から


夕方にかけてなく


夕日とイメージが重なる


ちょっとさみしいセミであった。






羽が透明で、


そして体がスマートで、


どうしても捕りたかったセミだったが、


小さい分だけ


トリモチにくっつけられずに


とても悔しかった。






そのツクツクボウシが


この武蔵野の地でも鳴き始め、


もうすぐ命を終わろうとしている。






このセミが鳴き終わると、


本格的な秋になる。




Totoronの花鳥風月-tuku1


近くの玉川上水。




みんなの良い散歩道。


夫婦連れで散歩する人を


良く見かける。





Totoronの花鳥風月-tuku2



うっそうとした木々に覆われ、


夏でも涼しく、


絶好のジョギングコースでもある。






Totoronの花鳥風月-tuku3

多摩川の清流を引きこんであるのだが、


ここを流れ始めると、


多摩川ではなく玉川となる。




混同を避けるための


呼び変えなのだろうか。




だから


玉川上水。





うっそうとした緑は


セミたちの恰好の棲みか。


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樹上より降ってくる、


ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声は、


岩に染みいる


ニイニイゼミの鳴き声とは違い、


うるさいほどなのだが、


両者とも、


姿が木の肌に溶け込んで


見つけられない。


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たまたま低いところで鳴いている


ツクツクボウシを発見。






居ました居ました、


貴重な1匹。


Totoronの花鳥風月-tuku6


アップにしておればこそ


姿を確認できますが、


歩きながら見つけようとしても、


ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声は、


あたかも


木々の枝や葉っぱに反響しているみたいで、


どこで鳴いているのかが


非常に分かりづらいため、


その姿を


なかなか発見することができない







今は


手で捕るのではなく


写真で撮るのだから、


あの頃よりも随分容易。






なつかしい


なつかしい


昔を思い出させる


ツクツクボウシの姿。





武蔵野の秋は


これからである。






老婆心ながら


最後に一言。



世のお母さん方へ。




子供達が


昆虫採集で


たくさんの虫たちを捕り、


その命を長らえることができなくても、


そういうことをすると、


命を軽視する子供が育つ、という危惧は、


全く的外れであることを


ここに断言しておきます。






命の大切さは、


昆虫などの虫や


ペットや


そんなものを大切にすることで教えるものではなく、


親が


溢れるばかりの愛情を


子供に注げば


自然に身につくものであると


これも断言しておきます。






虫の命の大切さを説いても、


親の愛情がなければ、


その子は


命の大切さなど、


微塵も感じない子に育つ危険性があります。






小さな昆虫たちや、


魚たちや、


ペットたちの


命を犠牲にしたことによって


命の大切さを知ることもあるのだと、


神経質にならず


大きな心で考えて欲しいと思います。