夏目漱石 | Totoronの花鳥風月

夏目漱石

前のブログで漱石に触れたところ、


その漱石に反応していただいた方がありました。


だから、ちょっと漱石に登場してもらいます。




次の一節が、私自身の考え方を不動のものにしました。


ほぼ100%自分の考え方と一緒だったからです。




その文章に出会ったのは私が25歳の時でした。




彼の著書「彼岸過迄」の一節 





僕も男だから、これから先いつどんな女を的に激烈な恋に陥らないとも限らない。然し僕は断言する。若しその恋と同じ度合の激烈な競争を敢えてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐にして恋人を見棄ててしまう積でいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれ程切ない競争をしなければ吾有に出来にくい程何方へ動いても好い女なら、それ程切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には、自分に靡かない女を無理に抱く喜びよりは、相手の恋を自由の野に放って遣った時の男らしい気分でわが失恋の瘡痕を淋しく見詰めている方がどのくらい良心に対して満足が多いか分からないのである。(原文のまま)




昔の漢字使いですから読みにくいところもあるかと思いますが、


前後の内容で読んでください。


仮に間違っていても内容が変わるほど軽薄な文章ではないので、


通じると思います。




25歳の血気盛んな時に読んだこの文章は、


私の人生に確固たる信念を与えてくれました。



そして、


あろうことか、すぐにこの小説と同じ体験をして、



然しあくまでも信念に生き、


その時相当な心の傷を負いましたが、




その傷が癒えるのに


実に3年の月日を要したのは、


ちょっと予想外のことではありました。






今思うと懐かしい


苦しかったけれども青春の


激しい鼓動が感じられる


若かりし頃の出来事でした。




スズメから、


いきなり話が飛びましたが、


漱石の考え方と表現力の素晴らしさを


少しでも感じていただければ


こんな嬉しいことはありません。




表現力の貧弱なブロガーの多いことよ。」に端を発した


長い思い出話にお付き合いいただき、


ありがとうございました。