【由来】

1856年、長崎・下田などの開港地での「絵踏み」(踏み絵)を廃止。


江戸時代の長崎では、正月4日から8日にかけて、

住民に聖母マリアの絵ロザリオなどを踏めと迫り、

踏めなかったものを「隠れキリシタン」として摘発、弾圧していた。


このキリスト教の最大の特徴である

偶像崇拝」と「原罪意識」を問いただす踏み絵は絶大な効果を発揮。

偶像崇拝が強い、宗教心が篤い信者ほど絵踏みが出来ずに発覚して、

また絵踏みを行った信者は、その罪の意識から、

己を恥じて、棄教したりする者も少なくなかったという。


以上のことから、転じて、

思想・主義・立場などを調べたり、再確認すること

を「踏み絵」というようにもなった。


ちなみに正月に行われていたことから、

「絵踏み」は春の季語として歳時記に記載されていたりする。


【解説】

そんな絵踏みに因んで、

思想・主義・立場などを調べて、再確認する日。


具体的には、夫として、妻としての立場を再確認するために、

お互いの写真を差し出しあいましょう


踏みにじられたり

ツバを吐き掛けられたり

燃やされたりしたら

夫婦としては末期症状でしょう。