【由来】

1920年、女性解放運動家で、バースコントロール運動を推進する

マーガレット・サンガー女史(米国産児制限会長)

「子どもを産む・産まない」「いつ、何人産むか」は女性の権利、

貧乏人の子沢山」という社会問題の解決策は産児制限しかない、

避妊について演説するために来日。


しかし当時の日本は「産めよ増やせよ」の国策方針であったので、

サンガー女史のパンフレットを押収するなどで講演を妨害して、

一般聴衆の参加も禁止した(講演には医学関係者のみ参加)。

これは何も日本のみの話ではなく、本国アメリカでも女史は

コムストック法(育児制限や堕胎の禁止)違反として

何度も逮捕、投獄され、欧州に脱出、逃亡したりしている。


また女史は

種の劣化を防ぐ道は

バース・コントロール以外にありえない」と主張して

精神薄弱者、精神病者、梅毒患者の断種

に個人的支持を表明したり、

プライベートでは数十人の男性と浮名を流し

奔放的な自由恋愛主義者でもあった。


【解説】

そんなサンガー女史に因んで、数十人の男と浮名を流す日。

でもちゃんと育児制限はしましょう。