20年ぶりの夕食。 | 歌舞伎町でオカマ&オナベのミックスバーのママをやっていて、おねぇタレントもやっているタイ王国が大好きな〝ガンモ〟のブログ~!!!

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タイ王国が大好きで、飛行機も大好きなガンモのブログです。新宿2丁目に住んでいます。NYプロダクション所属タレントです。

一昨日、埼玉県新座市の実家に帰って来ました。
東武東上線・朝霞台駅からひばりが丘行きのバスで揺られること約10分、家はバス停の真ん前でした。
グーグルマップでどんな家かは見ていたのですが、実際と変わらなかったので安心しました。


バス停まで迎えに来てくれた母と一緒に家に上がりました。
実家だというのになかなか「ただいま!」が言えない私でした。
そりゃそうです、初めて上がった家ですから。
どうも帰って来たという実感はそう簡単にはわいてはこなかったのです。
上がるとすぐに父が出迎えてくれました。
「お帰り・・・」
そうだ、ここが今の私にとっての家だったんだ。
父の一言で目が覚めたような気がしました。
そして、
「ごはんを食べてお行き!」
と母。
食卓の上には父が精を込めてこさえてくれた豪華ではないけれでも、心もこもった夕食が並んでいました。
ゆでたうどん、たくさんの天ぷら、そして焼き魚。
思わず『ウッ!』と息を飲みました。
20年ぶりの実家での夕食。


・・・私が2丁目デビューしたのは21歳の時でした。
そしてその3ヵ月後には店子として働き始めたのでした。
1年も経つと歌舞伎町のゲイバーの方から
「あんたは喋ることが出来るから歌舞伎町で働いた方が良い」
と勧められるままに店を移ったのでした。
当然、食事は家では食べなくなりました。
全て外食で済ませる日々。


やがて親からも
「お前を水商売にするために大学まで行かせたわけじゃない。
昼間の仕事が出来ないのなら今すぐ出て行け!」
と言われ否応なしに独立、西新宿のマンションで一人暮らしをすることになったのです。
家での食事が恋しいと思ったことは幾度もありました。


でもその念願が叶ってやっと20年ぶりの両親と一緒の食事が摂れました。
家があって本当に良かった、とつくづく感じました。
私にはいついかなる時でも戻れる場所があったのです。
一時は孤高のまま死ぬまで一人で生きていこうとまで決意した私です。
夜、店に向かう道すがら、明かりがもれている窓を見て、一家団欒をする日なんてもう自分にはないんだろうなぁと思っていました。
ゲイである自分を恥じたし、孫の顔すら見せることが出来ない親不孝者である自分が憎らしく思えた日々でした。


それがやっと氷が融けたんです。
20年ぶりの食事は本当に温かかった・・・。
胸が詰まりそうなほどの嬉しさのあまり、少ししかノドを通りませんでした。
私の母は先月70歳になりました。
親孝行したい時に親はなし、とよくいいます。
今まで親不孝をし続けてきたので、これからは精一杯の親孝行をしていこうと思いました。
今、店は火の車状態ですが、来月のタイ旅行では美味しい物を死ぬ程食べさせてやりたいと思います。
ケンちゃんママは昨日で辞めてしまいましたが、今日からまた頑張って皆さんから喜んで頂ける仕事をしていくつもりです。