柔道、剣道、茶道、花道・・・・・・


日本には道が付くものがたくさんある。


そして道徳 


これらは本来“道”を学ぶために柔・剣・茶・花があるということだと思う。


しかし、今はどちらかと言うと“道”というより、技やこだわり、そして順位などの比較する対象になってしまっているような気がする。


巷でも、表面出でてくるところは勝った、負けた、強い、弱い、そして組織・・・・


“道”の方が出てくることはあまり多くはない。


出てきたとしてもほとんどは勝者や組織の道。


私は”道”に勝ち負けはないのでは?と思う。


そこに勝ち負けを組み込んだ時点で“道”はなくなる。


すべての生き物は人生という道を歩んでいる。


その道を生きるうえで、柔らかさ、剣という軸、茶の宇宙観、花の生き方から何かを学ぶことで良い方向に持っていくための道ではないのだろうか?


私はこれらの道を学んだのは柔道だけだ。


とはいっても、格闘技として学んだのだか(笑)


しかし、癌になってからの自分自身の経験、そして多くの癌からの生還者との出会いから、その人たちの中に”道”を見た。


自分の中にある”道”を極めようと努力して何かを掴んだから奇跡が起こったと思うのだ。


それは勝ち負けなどという外面の努力ではなく、自分の内面の努力だ。


「自分に打ち勝つ」なんてものでもない。


だって自分の中にあるんだから。


自分を磨き、魂を磨くたのだ。


私はこれも「病道」だと思う。


病になたことで道を知る。


私も今この道を極めようとしている真っ最中なのだ。


現時点でも、病からたくさんの徳をいただいている。


これが道徳だと思う。


道徳とは“道の徳”


それぞれの道からいただいた徳


外から押し付けたり教えたりするものではなく、人生という道を通して気付くもの。


即ち、すべての人が生まれながらにして持っているものだと思う。


だから私は私の道を自分の足で歩む。


そこに何があるか?


何が起こるかは解らないけれど、そこから学び、徳を積んていくために。


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