私はガンになったとき、ガンになった原因はこれまでの自分の生き方にあると、あるがままの自分を受け入れた。

そして、最初はガンを治すために「原因をなくせばガンは治る」と必死に生き方を変えようとした。

 
食事を変えなければ治らない
 
心を変えなければなら治らない
 
ライフスタイルを変えなけれ治らない、などなど

しかし、変えようとすればするほど焦り、なかなかできない自分に憤りを感じて不安になっていったのだ。

それは「変えなければガンは治らない」ということで、とても強迫観念を植えるけるものだとわかった。

言い換えれば、後ろから何かに追われながら必死で捕まらないように逃げているような状態。

あるがままの自分を受け入れることはいいことだ。

しかし大切なのはその後。

変わることで何を創造していくのかだ!

それが行動する活力となる。

私は過去の行動を変えて新しい豊かな未来を創造した。

生き方を変えた自分の経験を語ることで、多くの人の力や希望になっている自分を!

すると今の苦しみや迷いが不思議に薄れていったのだ。

今の自分のことではなかなか行動を変えれないが、他人のためには人は変わることができるのかもしれない。

親が自分のためには変われないけど、子供の未来にためには変われるように。

それは新しい未来を創造的するために、今の自分の価値を高めるという行為なのだ。

それに引き換え、ガンを治すために過去の自分を変えるという行為は、今の自分から逃避するために、今の自分を否定するという行為だと思った。

大切なのは今だ。

今の自分が好きでいられるのか?

素晴らしいものを手に入れるためだから変わることができる。

だから、私は変われたのだ。

変わること。

それは新しい未来を創造するための行為こと。

今の自分の新たな可能性を見つけ最大限に引き出すということなのだ。




 

「身の丈を知れば楽になる」


ガンになる前の自分を振り返ると



ずいぶん「背伸び」をしてきたなぁ~と思う。



自分の身の丈に合ったことをしていれば良かったのだが、一度背伸びをしてしまうともう同じ高さでは満足できずもっと背伸びして身の丈を高くしようと更に背伸びする。



どうしてそんなに背伸びしようとしたか?



根底に背が低いというコンプレックスがあったからだ。



そうでなければ、背伸びなんかする必要がないのだ。



実は私はガンになる前は、コンプレックスの塊だった。



しかし、それはひた隠しに隠していた。



どんなコンプレックスがあったのか?



心が弱い、気が小さい、極度の緊張症、性悪、学歴がない、パニック障害、数えだしたらきりがない。



そんなコンプレックスが生まれたのは、ほとんどが小学校低学年の頃だった。



当時の私は気が小さくて、人見知りで他人とにコミニケーションが苦手、父親からはバカだ戯けだといわれ、泣いてばかりいた。



しかし成長するにつれて自分は体力があることが解り中学に入る頃には格闘技に目覚めドンドンやんちゃな方に進んでいった。



でも、記憶の中には幼少の頃の自分が住んでいてたまに顔を出す。



一番のコンプレックスは「嘔吐反射がひどくて歯医者にいけない」ということで、年を重ねるゴトにひどくなりパニック障害までも引き起こした。



するとそれを隠すために、背伸びをしなければいけなかった。



先ほども書いたが、いったん背伸びをすると、ずっとし続けなければ背が低いのがバレてしまう。



そして、もう背伸びも限界に来てひっくり返った。



本当の自分と、背伸びした自分の乖離に心が着いていけなくなり、鬱病を発症したのだった。



そこで背伸びを止めれば良かったが、会社に復帰してからまだ背伸びをしようとして頑張ったが、そんな状態長く続くはずがない。



その時はもう足腰も踏ん張りが利かなくなっていたので、今度は転び方も悲惨でボロボロになった・・・・



癌だった。



なった当初は底辺まで落ちてしまったことを嘆き悔やみ、心も体もボロボロだった。



しかし、癌になり㈱三越を辞めたことで、これまで背伸びして築き上げてきた地位も身分も捨てることができたったおかげで、以前の弱くて小さな自分に戻ることができたのだ。



癌になり大きな手術をして普通の人より臓器も少なく、生きられる年数も解らず、体力もなく、三越という看板も無くなり弱くて何も持っていない織田英嗣という一人の人にもどったことで、もう背伸びはしなくて良い!と開き直ることが出来た。



不思議に心がとっても軽くなった。



そこからは、2度と背伸びはしないと決めて、身の丈を少しづつ伸ばしていこうと決めた。



無知だった分野で関心のあることを1から学び、抗ガン剤と手術でほぼ0に近いところまで落ちた体力を筋トレやランニング等で少しづつ付け、看板も地位もお金も何もなく、いつまで生きれるかさえ解らない織田英嗣という一人の癌患者というところから縁だけを頼りに人間関係を築いていった。



すると不思議なことに、これまでは低いのを高く見せようとあんなに頑張って背伸びをしてきたのに、周りの人が自分が思っている身の丈より高く評価してくれるという現象が起こった。


背伸びしてないからボロが出ることもないし、小ささや弱さを認めたことで他人の目も気にしなくても良くなり、今の自分がすべてでそれ以上でも以下でもないと思って生きていけるようになったのだ。



生きることが楽になり、楽しくなってきたのです。



だから歌も太鼓も身の丈から、始めれば良く、そこから練習をしていくことで、あれができた、これもできたという小さな成功体験を積み上げていくことで昨日と違う自分になっていくことが必要なのではないのでしょうか?


そして、そんな一歩一歩が自己評価を高め、自分のやっていることの効果を上げることに繋がるのです。



私はガンになってから19年、そうやってひとつずつ前に進んできたことで今があると思っています。


そんな経験を通して、本当の成長とは、身の丈を知ることから始まるのだと思うようになったのです。

私は19歳のときにボクシングを始めてプロボクサーに。






その後、23歳で引退しましたが、55歳のときに原点に帰ろうと思い、再びボクシングジムに通い出し身体と心を鍛えるようになりました。


しかし一昨年、緑内障の悪化で視覚障がい者となり車の運転もできなくなってしまったことで、ジムには通えなくなりました。


そんなときに、視覚障がい者のボクシング「ブランドボクシング」という競技があると聞き、現在は月に1回、練習に通っています。








そんなことで、今日は私がボクシングにこだわることについて書いてみようと思います。



普通の人はボクシングというと殴り合いだからどうしても野蛮とか痛いというイメージがあると思います。
(ブランドボクシングは殴り合うことはありません)


普通で考えれば“痛み”は人にとってはあまり良いものではありませんからね。

でもどうも私は“痛み”に快楽を求める傾向があるような気がするのです。

若かりしころはボクシングをはじめたのは、人を殴ることにも快感を求めていたが、殴られることで「生きている自分」を感じていたから。

即ち「生きているから痛い」

痛みを感じる=生きている実感となっていたのです。

普通じゃありませんよね(笑)

どうしてそうなったのか?

学生時代は好き勝手なことをやって生きていることを実感できたが、サラリーマンになって型にはなった家畜のような生き方になってしまったからのような気がします。

人の目を気にして、評価を気にして、早く会社に入社したというだけで上から見られる屈辱感・・・・


痛みに快楽を求めるとは

そんな情け無い生き方をしている自分を痛めるつけるためでした。

でも俺は生きているということを証明するための手段であったような気がするのです。

私がボクシングを始めたきっかけは”ロッキー”を見たこと。

今まで格闘技が好きでロッキーに憧れたからだと思っていたがこの文章を書いていて「ハッ!」と気付いたこと。

痛めつけられても何度でも立ち上がるロッキーの姿に憧れたのだと。

思い返せば、癌になって大手術をするときなったときもなんだかワクワクしていた自分がいました。

そしてそこから這い上がるためにロッキーのように筋トレ、ジョギング、様々なトレーニングをやってきたのです。

つまり私は「痛み」⇒「頑張る」⇒「克服」⇒「痛み」⇒「頑張る」⇒「克服」というプロセスで生きてきたのでした。

そしてロッキーのように頑張る姿を人に見てほしいと思っていました。

痛み⇒頑張る⇒見てほしい!⇒優越感

冷静に見るとこれは普通ではない。

癌になるわけだ!

だからガンになってからは、頑張らない、いい加減、適当が自分に必要なことだと考えて、それを貫くようにしてきたのでした。


身につけた鎧を取り素の自分をさらけ出してみることにしたのです。


そしてボクシングを始めた頃の毎日を思い出して、手術と抗がん剤でボロボロになった身体を毎日少しずつ改造していくことで、自分の変化を楽しむようにいしてきました。


その結果、わかったこと。


どんなに今がダメでも、最悪でも明日を今日より良くするための、ちょっとの背伸びする行為をし続ければ、1ヶ月後、3ヶ月後、半年後には知らず知らずの間に大きく変わっているということでした。


実際にどう変わるか?を、近日中に3ヶ月前と現在の肉体改造結果を発表しますのでお楽しみに(笑)


それはつまり、小さな小さな自分を受け入れ、大きくなろうと想いを抱き、毎日を淡々としてやることをやればよいという事でなのです。


たぶんどんな人でも子どもの頃は、そうしてきたはずではないのでしょうか?


つまり何もないということは、これから何でも手に入るということ。


そして


そして、これからの未来を過去と変えていければ


無限の可能性があるということなのです。


そんなことで,現在は11月に開催される『ブラインドボクシング全国大会』への出場を目指しています🥊










私はがんになって食事療法やらお手当やら、規則正しい生活やら、さまざまなことを徹底してやっていた時期が3年近くあった。

それは今までとは180度違う生活だった

あまりにも変わったので周りの人から様々なことを言われた。

そこまでやらなければいけないのか?

そんなことやっていて本当に効果があるのか?

なんでも、やりすぎはよくない。

ゆとりがないと・・・・

そう言われると、自分では覚悟を決めてやっていたつもりだがやっぱりこれで大丈夫か?と不安がのしかかってくる。

本当にこれでいいのか?

その不安はとてつもなく大きかった。

でもそんな自分自身を救ってくれたのが行動だった。

不安を打ち消すには行動するしかない。

止まって考えるから不安になるのだ。

考えて不安になってよい結果が生まれるのであれば考えれば良いが、そうわならず逆のパターンも多いような気がする。

がんになった時もそうだった。

最初は様々なことを考え、情報を漁り、不安になった。

その時思ったことは「己の敵は己」ということ、

ガンが怖いのではなく、自分自身の行動と自分の未来が結びつかないことへの恐怖だったのだ。

そう思ってガンになる以前を振り返ってみると、行動と未来なんて考えたことすらなかった。

ここでいう未来とは自分が死ぬまで。

つまり死ぬことで未来は終わる。

今までこれからも当分は続くと思っていた未来が突然わからなくなるのだから不安になっても仕方がない。

しかし、今までと同じ生き方をするだけで、何もしなければ不安はどんどん大きくなってくるばかり。

行動を変えずに、プラス思考とか考え方を変えるのは結局は対処療法のようなもの。

根っこの自分を変えなければ何も変わるはずがない。

だから不安でも行動するしかなかった。

そして行動したことで、すべては自分の責任と思うようになった。

行動が自分を変え、やっていることが楽しくなり自身も出てきたのだ。

振り返るとそれまではほとんどのことを他人の責任にしてきたことがわかった。

行動する選択権を持っているのは自分だったにもかかわらず。

行動とは今を生きるための、今しかでいない手段だ。

それは今一瞬の命を感じること。

その一瞬に自分の人生を掛けるのだ。

いつ死んでもいい。

明日死んでも悔いはない。

そんな一瞬一瞬を生きてゆきたい。

そんな生き方が出来るかどうか?

結局は自分の人生に自分で責任を取れるかどうかなのだ。

私は明日死んでもいい生き方をしていると自信を持って言えることを誇りに思う。