2020年3月・会津帰省(福島3月①) | 岩越鉄道線のりば

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3月13~14日の1泊2日で、福島(会津に帰省しました。
今年は3月に入ってもの少ない状態でしたが..


磐梯山も、いつもの冬より少な目..

さて..
長らくJR磐越西線(会津若松⇔新津)JR只見線(会津若松⇔会津川口)で活躍してきた「キハ40系 国鉄型気動車」が、2020年3月13日で引退する事になりました。


東北新潟地区にキハ40系が入ったのは1977年から。

☆キハ40 500番台(寒冷地仕様) 1977年に西線(初期は津川-新津、後に若松まで)・1979年から只見線で運用開始
☆キハ47 500・1500(寒冷地仕様、1500番台は便所無し) 1978年から西線で運用開始
☆キハ48 500・1500(寒冷地仕様、1500番台は便所無し) 1979年から西線・只見線で運用開始

東北新幹線が走り出す「1982年ダイヤ改正」前までは旧型気動車(キハ23・25・30・35・52と、キハユニ26)の土壇場であり、40系は1980年頃から目につくようになった記憶があります。

今日のリザフィックバレー「黒鹿毛鉄道支区」
1982年 会津坂本


今日のリザフィックバレー「黒鹿毛鉄道支区」

今日のリザフィックバレー「黒鹿毛鉄道支区」
1992年 郡山

国鉄末期には「西線→キハ40・47」「只見線→キハ40・48」と統一化され、JR化前後の頃には塗装変更(朱色5号東北地域本社色新潟色)。
更に2000年代には只見線からキハ48が無くなり全てキハ40で運用されるようになりました(末期は西線がキハ40・47・48、只見線がキハ40)。

40年の長きに渡って活躍した国鉄型車も、3月14日(一部13日)からは新型(西線GV-E400・只見線キハE120が入り歴史が終わりました。

引導を渡す..ではありませんが、最期のひとコマを目に焼き付けるためも帰省の理由のひとつ。

ということで.. 東京から高速バスで、昼過ぎ帰ってきました(続く)

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