大坂城の豊臣家が滅びたのは、慶長20年(1615)の5月8日である。グレゴリオ暦に直すと6月4日に当たる。
このとき市右衛門は天王寺の家康本陣にいた。わずか21歳、駿府城勤番の旗本に加えられて半年を過ぎたばかりの新参だが、松平一門の筆頭格長澤家の一員である。
系譜上の従兄弟に当たる松平右衛門佐(正綱)が
――かの念誓どのの……
と口を利くだけで話が通じた。額田屋の財力があれば、市右衛門を邪険にして得なことはあまりない。とはいえ武士の世界は初めてだし、ましていきなり合戦に臨むとあって、市右衛門は自分が何をどうやったものか、まるっきり覚えていない。
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