大勢のボランティアが、がれきの撤去や泥かきに汗を流している。しかし、津波は住宅だけではなく、住民同士の結びつきまで押し流した。


本格化しつつある東日本大震災からの復興の陰で、まだ多くの被災者が孤立感にさいなまれている。


全国から駆けつけ、地元で立ち上がった有志たちは、彼らに寄り添い、新たな絆を生み出す取り組みを始めている。


 「柱しか残ってないかもしれない。でも茶わん一つでいいから持ち帰りたいの」


 今月初め、福島県いわき市内の避難所で、「被災者見守り隊」の佐藤裕子さん(44)に女性の被災者が訴えた。


女性宅は福島第1原発半径20キロ圏内の警戒区域にあり、着の身着のままで転々と避難。一時帰宅で被害を直視することに不安を募らせていた。


「自分がどうなっちゃうか分からない。ここに戻ったらまた来てくれる?」。


佐藤さんがほほえんだ。「必ず来ます」


被災者見守り隊は市内の避難所を回り被災者の相談相手となるボランティア組織。介護福祉士の佐藤さんがリーダーを務める。



佐藤さんは勤務先の介護老人保健が被災して休職になり、当時専門職のボランティアを受け入れていた田村市に向かった。避難所に行くと現場は混乱し、誰からも指示がない。「何をすればいいのか」と考えたとき、家に戻れず寂しそうにしていた施設の高齢者の姿が浮かんだ。「とにかく話を聞こう」と決めた。


いわき市に戻ってからも1人で避難所を回った。避難者は「お世話になっているから」と市職員には遠慮がちだ。食欲のない人や孤立している人に「体調はいかがですか」と声をかけた。


世間話をするうちに、支援の必要な課題が浮かぶこともある。「先立つものがない」「ずっと子供と一緒で疲れ切った」。そんな話を聞いては行政につないだ。


活動を知った看護師や僧侶、大学生が「一緒にやろう」と集まり、4月17日に見守り隊を発足させ、5~6人が手弁当で駆け回る。


95年の阪神大震災では、仮設住宅入居後の孤独死が相次いだ。


いわき市で現在避難所にいる被災者はピーク時の約50分の1。


地域ごとに生活していた人々が散り散りになっていく。



被災者が入居する公営住宅を訪ねた時、偶然、避難所で会ったお年寄りに再会した。「ここは話し相手がいなくて、寂しいよ」。部屋にこもり、一人で泣くこともあるという。


 避難所がなくなっても、顔が見える支援をしたい。「これからが本番です」