いつもの抜粋記事です。
夜回り先生こと、水谷修さんのコラムより。
あきらめない 絶望しても再び輝く
2008年10月27日
先日、私の講演に、中学校時代の私の友人が、家族と来てくれました。
中学時代、彼はスポーツ万能、そして成績も優秀、みんなに好かれる男でした。
私は、先生方の管理主義にいつも抵抗し、わが道を行くと、
いつも1人で突っ張っていましたが、そんな私にとって大切な友人でした。
いつも2人で未来を語り合っていました。
彼は、自動車会社に勤め、夢のようなスポーツカーを作ることが夢でした。
彼は、高校、大学と順調に学び、夢の通り、ある自動車会社の開発部門に就職しました。
そして、30代で日本が世界に誇ることのできるスポーツカーの開発の中心にいました。
中学時代の同級生と結婚、2児の父親としても幸せな日々を過ごしていました。
そのころの彼は輝いていました。
会うたびに、私に新しい車のすごさを熱く語っていました。
ところが、彼は、38歳の時に視力を失いました。
交通事故でした。
会社も私たち友人も家族も、必死で彼を支えました。
しかし、彼は荒れました。
生きる気力を失い、酒浸り。
私が彼の家に行っても会うことすら拒否されました。
私は、彼の奥さんと連絡を取り合い、ただ待つことしかできませんでした。
奥さんから、彼がマッサージ師の資格を取り、働き始めたことや、
自分の店を出したことは、聞いていました。
でも、私が会いたいと伝えると、その度に断られていました。
その彼が、家族4人で私の講演に来てくれました。
白いつえをつく彼を、奥さんと2人の子どもが笑顔で支えながら来てくれました。
講演後、彼と15年ぶりにお酒を飲みました。彼の家族も一緒に。
彼は、昔のようにビールを立て続けに飲みながら、こう話してくれました。
「水谷、本当に久しぶり。俺(おれ)は14年前、視力を失い、
すべての夢も希望も失い、生きることが嫌になった。家族には、いっぱい迷惑をかけた。
働きもせず酒を飲んで暴れて。
でも、そんな俺を立ち直らせたのは、お前だよ。
お前は35歳の時、俺がやめろと言ったのに夜間高校に異動した。
エリート教員の道を捨てて。でも、それからのお前は輝いていた。
いつも夜間高校の恵まれない子どもたちのこと、熱く語っていた。
きっと俺にも、家族のため社会のため何かができる、そう思ってマッサージを勉強。
今は、美容のためのマッサージや病気予防のためのマッサージ、手広くやってるよ。
水谷、俺は視力を失って、いっぱい最高のものを手に入れた。
鳥の声や風が、時間や季節を天気を知らせてくれる。
いいもんだよ。何より大切な家族の愛を」
みんなで、泣きました。
子どもたち、あきらめない。あきらめない。明日は、来ます。
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僕は、この話を読むたびに勇気付けられます。
大人も子供も関係ありません。


