「幸せ」は皆を幸せにすることを願っている
幸せは感覚で言うと体や地球と言った物的な感覚なのですが、
それを擬人化して『△「幸せ」を味方につけていく』としたところが、個人的には新しい発想ですね。
「幸せになる」
「○○になる」という表現は、
逆に「自分はそういう状態ではない」
という事が暗に認識されます
ここのところの表現の難しさに苦慮しましたが、
「幸せを味方につけていく」ということと、
それにまつわるエネルギーや技術を身につけて
社会を変えていくという所で安定しました。
「幸せ」が体や地球という所に対して、
「皆」はそのまま社会に住む皆という意味もありますが、
個性がある・流れがある・浮き沈みの差がある・分からない事がある・不安がある・闇があるという様な意味では
宇宙・星の輝き・星の配置・光の作用という意味合いもあるように思います。
日本人の精神という部分から
皆を幸せにする事を願っている「幸せ」という存在は、
象徴される「天皇」(「幸せ」=「天皇」)の様であり
「祈る存在」として一つになる大和国民という神話も感じさせます。
もちろん「祈り行動していく」事が国民としてはあるべき姿なのでしょう。
行動の前には祈りがある。そこが精神構造上重要な部分だと思います。
教育勅語の
『朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ
拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、
咸(みな)其(その)德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ
庶幾(こいねが)フ』
を思い出します。
地球と体の関係はスピリチュアルでいうところの「ワンネス」であり、
上記の天皇と国民と言う関係とも類似する認識の様でもあります。
「あぁ、日本国民で良かった」と思えます。
こういう感覚を自然と持っていたからこのブログのCOENも作ってこれたんだなと思います。
『天皇のもとの平等』というのもこうしてみると、その思考の活かし方があるように思えます。
「天皇=幸せ」と共に、皆の幸せを祈り願い、その為に行動していって、皆が幸せになれるような社会をつくっていく。
「天皇」という存在を、
システムとして、
感覚の上での安定剤として、
平和を実現する為の象徴として
「運用」していくことは
とても大変重要なことであるような気がします。
果たして、天皇を無くした時にこの変わりになる存在が居るのかどうか、
その所はきちんと議論なり研究なりをしていく必要はあると思います。
