明日、ママがいない 最終話より | はばたけ! 養護施設出身者

はばたけ! 養護施設出身者

養護施設で虐待を受けて育った者が、その後、社会で生きて行くために歩んだ記録

体調がすこぶる悪くて、予定の記事が書けずに止まっています。

一気に調子を崩してしまった形なので、コメント等も返事をかけずに申し訳ございません。

ただ、このドラマは色々な問題を皆さんに知って頂けるきっかけを与えてくれたので、最後に記事にしておこうと思います。


以前から読者の方も感じてくださっている事なのですが、全体としては、私が記事に書いていた事を、そのまま訴えた番組にしてくれた気がします。

ですから、日テレさんには深く感謝しています。

某国営放送の時は、本当に散々な目に遭わされたので、かなり色眼鏡で見ていた部分もあったのですが、

「捨てる神あれば拾う神あり」

まさしくこういった心境にさせて頂きました。


その一方で日テレさんが、これだけ叩かれたという事は、私がこのブログで訴えている事も、やはり一部の方には受け入れ難い現実なのだろうな。

という事を感じています。

この問題についてはテレビ局という大きな組織であっても、これだけ叩かれてしまうという現実も、この問題をきっかけに皆さんは知ったと思います。


更に全養教・全国里親会の会見を通じ、皆さんは、それらの会の本質を知って頂けるきっかけになったかも知れません。

子どもたちのためと言いながら、里親会会長の会見は

「終始、自分たちの世間体だけ」

を気にされていました。

子どものためといいながら、あの会見は

「本当に子どもを主役に置いたものだったのかどうか」

少なくとも私には、そういった想いは微塵も伝わりませんでしたが、当の

「施設職員の方」や「里親の方々」

は、どのように受け止めたのか。

私見を言わせて頂けるなら、そういった方々から

「あの会見はおかしい」

という声が上がって欲しかったのですが、そういった声は聞こえない所を見ると、そのような体質が組織に蔓延してしまっているのかも知れません。


ドラマ自体については、私はグループホームである「かりんの家」の放送を見て、

「中で暮らす子どもが、職員を親と思っているのなら、別に家庭的養護とかというものに拘らず、それはそれで良いのではないか」

とうい意見を述べさせて頂いた事があるのですが、まさしく最後はそのような形でまとめて頂けました。


そして私は、子どもへの色々なボランティア活動を通じて感じた事として

「私自身は、子どもに助けて貰っていると思っている」

という意見も語らせていただきました。

里親にしても、施設職員の方にしても

「可哀想な子どもを守り育ててあげている」

こういった意見を述べられる事も多いのですが、私自身は

「大人が子どもを守り育てるだけでなく、大人もまた子どもに助けられ育てて貰っている」

このように考えて、上記のような意見を語っていたのですが、最終話でそれも見事に表現して頂けました。


別の番組の放送でかなり落ち込み、自暴自棄になりかけた事もあったのですが、本当に人生はバランスが取れているのかも知れません。


体調が本当に悪いので、うまく記事にまとめることができていないかも知れません。

本当は、まだまだ語りたいこと沢山あるのですが、今の私には、これ位の記事を書くのが限度となってしまいます。

本当に申し訳ございません。


最後に最後までスポンサーが付かない中、放送を続けてくれた日本テレビの番組スタッフの方々、出演者の方々に、心から感謝を込めて


たま


PS

体調を崩していますので、ペースが大幅に落ちます。

すみません。