10.学校復帰と進学 <通常登校までの道のり>
8月最終週の受診。T先生は始業式出席とその後週1日AMのみの登校を許可してくれました。
もし、途中回復が後退するようなことがあればすぐに登校は禁止するという約束もしました。
始業式に向け、夏休み中でしたが事前に娘を連れ担任の先生と面談しました。
(中3の1学期初日に出席したのみでしたので・・・)
久しぶりに電車に乗り学校の門をくぐった娘は緊張した顔つきをしていましたがうれしそうでした。
帰宅途中でカフェに寄りスムージーまで飲みました。
(この時点では甘いものはだめだったので驚いたのを覚えています)
私は夏制服を着ている娘がまだまだげっそりと痩せているように感じられ
(実際には、細い子程度だったと思います)心が重く、心配が先に先にあふれてくるようでした。
これから学校に通い続けられるのか?友人関係は大丈夫だろうか?
お弁当をもっていくようになったらどうなるのか?勉強は・・・?
2日後に始業式がせまった暑い夏休みの日。
携帯を解禁しました。これから通学が始まり、新しい友人との交流も始まるため、
どうしても必要になると判断しました。
その後は、病気の回復に合わせて通学を解除していきます。
9月末 週3日程度通えるようになります
10月末 週4日程度通えるようになり、週1体育もできるようになります
11月~12月 週5日程度通えるようになり、週2体育もできるようになります
3学期からは全日程通学解禁(部活のみ禁止)
2学期中は、弁当は保健室で食べましたが、3学期からは教室で食べています。
通える授業が限られていたため、数学や英語のような主要科目ではなく、
実技のある科目(音楽、家庭科、美術、体育)を中心に出席しました。
実技科目は出席しないと成績は1or2になってしまうためです。
脳の疲労と勉強に対する焦りやプレッシャーを排除するため、11月までは家での勉強も禁止されていましたが、
11月からは数学の遅れが顕著になってきたためオンライン塾をスタートしました。
中間テストなども受けられただけで目標達成。点数はいっさい気にしないと設定し常にそれを伝え続けました。
娘があせったり、無理したりしないよう病院と家庭で同じスタンスで声をかけ続けました。
それがよかったのかどうかはわかりませんが、娘は勉強に対する焦りはあったと思いますが
比較的マイペースで乗り切っていきました。むしろ自分のために勉強する楽しさを知ったようでした。
<学校へのお願い>
学校へ復帰するにあたり、
・友人にはこの病気のことは言わない(別の病気と伝えています)こと
・弁当はしばらく保健室で食べること
・回復状況に合わせて登校時間を増やしていくこと
・授業のプリントがもらえない、内容がわからないことに対するサポートのお願い
等々をお願いしました。
担任は男性のため、いろいろお話しましたが病気を理解いただくのは難しいと感じましたが、
逆に先入観や裏目に出そうな配慮などもなかったため娘は気が楽だったようです。
テスト前には、娘が最も心配していた数学のアドバイスを朝の時間を使って何度もしてくださいました。
もう一人、診断前から娘を心配し何度も面談に呼んでくださり、
病院の紹介状をくださった養護教諭の先生には、とてもお世話になりました。
養護の先生は娘と同じ病気の子を何名も見てきているようで、娘への接し方だけでなく
私に対しての声かけもとても温かなものでした。
学校関係者で「お母さんたいへんでしたね。よく頑張りましたね」と言ってくださったのは
養護の先生だけでした。
進学(このあと書きます)についても
唯一「保健室で最大限サポートしますので○○さんの希望を最優先にしませんか」
と提案してくださったこととてもうれしかったのを覚えています。
その後、娘が学校に復帰してからも定期的に電話で回復の状況を報告したり、
学校の様子をうかがったりしました。
多くの方に支えていただきながら娘は学校へ復帰していきました。