職場でよく聞かれること。

 

「大好物は何ですか」

 

食事の最中だから、そんな会話になるのもうなづける。

 

その答えは決まって「ありません」と。

 

そう、自分にはよく分からない。

 

食べるということが楽しいものかどうかということ。

 

エネルギーの補給、空腹を満たすだけの活動。

 

「食べる」ということが、それ以外の理由がない。

 

小さい頃から嫌いなモノばっかりだった。

 

肉に牛乳、それに魚や卵。

 

それらが嫌いなら、学校の給食なんて食べるものがない。

 

だけど、昔の給食って嫌なら食べなくてもいいと許されることはない。

 

じっと見つめるだけで一向に進まない先割れスプーン。

 

給食の時間が終れば逃げられると思っていたが、そこに悪魔の命令が飛ぶ。

 

「食べきれなかったひとは放課後に残って、食べ終えてから帰りなさい」

 

給食時間だろうが放課後だろうが食べられないものは食べられない。

 

机の中に隠したり、わざと落してみたり、どうにかこうにかその場を逃げる。

 

そんな給食が嫌で、何度もずる休みを企てた小学校低学年時代。

 

そんな苦しさを乗り越えたのが確か小学3年の頃だったと記憶している。

 

牛乳は味が分からないように一気飲み。

 

肉や魚は噛むことなく丸飲み。

 

嫌なものから片づけていく。

 

これはもはや食事ではなく、苦行の時間。

 

涙目で飲む牛乳の辛さ。

 

丸飲みできない肉の塊には相当手を焼いた。

 

 

その肉も年齢を重ね子供の時代をすぎる頃にはやっと口にすることができるようになった。

 

但し、ハンバーグや焼肉の類のモノだけは、だ。

 

未だにカレーやハヤシライスなどの肉は食べることができない。

 

牛乳の加工品、クリームシチューに関しては一切口にできないでいる。

 

ともかく牛乳系の白いモノ、肉の入った料理は今もはじきたい。

 

「それじゃぁ食べるものがないんじゃない?」、「おかずとなるものがないじゃない!」

 

「大丈夫、ご飯だけでご飯が食べられるから」、「肉が入ってない麺類なら大抵食べるし」

 

ある時、うまい新米を食べる機会が。

 

「これならご飯をおかずにご飯が食べられるわ」と言ったら笑われた。

 

世間のひとさまはどんなに美味しいご飯でもおかずが必ず必要らしい。

 

自分にはそのおかずが場合によっては苦痛になると言うのに。

 

そんな自分だから「好物」というものが思いつかない。

 

子供の頃、一番の楽しみと言ったら母親の作る「袋のラーメン」だった。

 

別段、なにかがトッピングされている訳でもない。

 

入っているのはネギぐらいのもの。

 

どれでも好んで食べた。

 

その当時、家もまずしくお小遣いなんてもらった記憶がない。

 

それでもいくらかのお金が手に入れば、袋のラーメンを買って母親に造ってもらった。

 

それが自分にとって一番のご馳走でもあった。

 

 

今でもラーメンは比較的好んで食べる。

 

それはお店の本格的なラーメンではなくインスタントラーメンで、カップ麺よりも袋麺だ。

 

大の好物ということでもないが、好きか嫌いかと問われれば二つ返事で好きと答える。

 

だからと言って年がら年中、袋のラーメンを食べ続けているわけでもない。

 

むかしに比べて味のバリエーションも増え、商品の種類も増えた。

 

だけど、その当時からあるものがやはり美味い。

 

しょう油でシンプルな麺。

 

ただ、それだけでいい。

 

いやいや、それにしても実に貧しい食事事情だ。

 

今ではそんな袋麺を楽しみにすることもなく、殆ど楽しみな食事なんて考えつかなくなった。

 

こんな食事事情である自分にとって「食べる」ということは、やはり楽しみとならないことは確かだ。

 

「大好物は?」

 

これから自分はこの問いにどうこたえていくのだろう。

 

やはり、「ありません」で通すのか。

 

自分にとってその問いは一番の難問だ。