がんばの旅日記

がんばの旅日記

各地を旅して回った記録を書いています。すべて当時の記録ですので、現在とは違っています。観光案内も盛り込んでいますが、随分と変わっている事も・・・。

 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
大雄寺:

山門は名工水間相模の作で市の文化財、楼上には釈迦如来と十六羅漢が祀られている。文化4年(1807年)の建立。市内で最古といわれる鐘堂は元禄2年(1689年)の建立で県重文。境内にある徳本上人の名号石は日本一の大きなものだといわれる。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
大雄寺:天正14年(1586年)、吉城郡広瀬村(現国府町)より移した寺で曹洞宗。京都知恩院の末寺。山門入り口の六角堂は安政3年(1856年)の建立で百体観音を安置。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
東山白山神社:養老2年(718年)に白山を開山した三神泰澄が創建したと伝えられる。境内に築山や夫婦杉があり神域は閑静。社宝に円空上人作の思惟菩薩があるが、これは現在高山市郷土館に展示されている。例祭5月4,5日。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山別院:

庫裡-火災で焼失したので飛騨随一の豪農杉下家の母屋を昭和23年に移築したもの。128畳の大広間をはじめ大部屋小部屋があって計199畳。豪農の生活の一端を知るによい資料。
○別院の回りの風景を写真に収める。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山別院:

本堂-たびたびの火災で現在のコンクリート造りになったのは昭和36年。間口16間、奥行き15間、外陣は220畳敷きの大広間。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山別院:

金森氏が飛騨に封ぜられると、人心をつかむために、天正16年(1588年)白川郷中野の照蓮寺13世明了を高山に移住させた。これが寺のはじまりである。17世一乗のとき、一乗は寺を捨てて京都に走ったので、元禄16年(1703年)から東本願寺の御坊となり今に至っている。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山別院:飛騨は浄土真宗の王国。高山別院はその信仰の中心的存在であるとともに”仲間のご坊さま”といわれて、超宗派的な崇敬を集めている。
       
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山屋台会館:

日本の「だし」には、山車、鉾、だんじりなど、その地方によって色々な呼び方をされているが、屋台というところは美術工芸に力を入れているところが多い。なかでも高山の屋台は最も出色で時価1億円以上。屋台と共に展示されている大神輿は日本一の大きなもので、明治25年に完成した氏子自慢のもの。
   
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山屋台会館:

桜山八幡宮の屋台は、神楽台、布袋台、金鳳台、大八台、鳩峰車、神馬台、仙人台、行神台、宝珠台、豊明台、鳳凰台の11台で、いずれも絢爛豪華。江戸時代における高山の文化の水準をここにみることができよう。彫刻、金具、染、織など当時の最高のものである。
   
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 031) S62.12.29(火)-S63.1.5(月)
12/30(水):2日目
高山屋台会館:

校倉造りを模した館内のはいると、神子姿のお嬢さんが案内してくれる。すると裃姿に威儀を正し、一文字笠に紙緒草履という、警固の正装をした美男子がズラリと並んでいる。ちょっと驚くがこれはマネキン。屋台には常に4台ずつが展示されている。保存の関係もあって、時々入れ替えをするので、どの屋台が出ているのか分からない。しかし各屋台とも動く陽明門と形容される美しさを十分に発揮しているので失望することはない。
   
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