【 川崎病 ~妊娠中に無理したせいでと後悔の日々~ 】
前回の ブログ で
お母さんも自分の身体を労わって自分を大事にすることが、結果家族にも還元される
と書きましたが、私自身が自分の身体を労わる事が出来ずに後悔した事について書きたいと思います
初めてのワーキングママとして奮闘する日々の中、2人目を授かりました
短時間勤務を取っていたとはいえ、私自身も周りも制度との付き合い方に慣れず、短時間勤務をしているのに短時間勤務になっていない日々
私自身の仕事への向き合い方が問題だったのかもしれません。
男性社会で残業がとても多い職場。
きついながらも皆で頑張って1つの製品を開発し、無事納期に間に合った時の解放感や充実感が好きでした
部活動で大会に向かって皆で力を合わせて勝利した時みたいな
でも短時間勤務になってからは、皆が忙しくなりこれからだという時に先に帰り、夜中に皆が一生懸命リカバリーした結果を翌日朝に知ったりして、同じチームで仕事をしていても自分だけ置いて行かれたような寂しさも感じていました
出社すると、前日の夕方から翌日朝までに起きた事を把握するのも精一杯
そんな自分の心の迷いもあり、妊娠前からのがむしゃらに働く癖が抜け切れず妊娠中も深夜残業をしたり
もちろんお腹も張り、切迫流産に近い状態で無理していました
そして産前休暇に入った途端・・・
副鼻腔炎になって高熱を出し、それが治ったかと思ったらインフルエンザにかかり、出産当日までずっと体調を崩していました。
気を張っていたから、休みにはいって一気に体に出たのだと思います。
その後何とか無事に2人目を出産。
1人目の時と違って気持ちも楽に子育てを楽しめる自分がいました
しかし事件は生後3ヶ月になるころ。
なんだか子どもがいつもより凄く機嫌が悪いなと思っていたら、なんと40度近い発熱
小児科に行くも原因は分からず、そのまま数日40度近い熱がなかなか下がらない・・・
診断されたのは 川崎病 でした
その頃から遡って20年前は、川崎病になったお子さんはかなり亡くなっていたと。
怖かったです。熱がこのまま下がらず、この子を亡くしてしまったらどうしようと。
川崎病は当時、発症するのは年間9000人と言われました。
後遺症として心臓に冠動脈瘤ができることがあり、運動制限をされる事もあります。
免疫グロブリンでの治療が効かない場合は治療法がないとも。
幸い免疫グロブリンでの治療が効き、熱も下がり10日ほどで退院
こまめに経過観察して半年。
もう大丈夫、次は1年後でいいでしょうと言われた矢先
またもや突然の40度の発熱
まさかの川崎病の再発 でした
まだ1歳に満たない子どもが2回も川崎病にかかるなんて。
再発するのはたった2%、先生によると10万分の1の確立。
宝くじに当たるよりも珍しいと言われました
川崎病の原因は分からないと言われたけど、真っ先に浮かんだのは自身の体調管理
私があんなに無理して深夜残業をしたからではないか・・・
副鼻腔炎やインフルエンザになって、薬を飲んだからではないか・・・
私のせいで、私のせいで・・・
と後悔してもしきれませんでした。
お腹に赤ちゃんがいるのに、何故自分の身体を大事にできなかったのか
例え原因が違ったとしても、こんな事があると後悔するのは母親。
周りから責められるのも母親。
後悔してもしきれない日々でした。
そんな経験を通して感じたこと。
どんな働き方を選ぶかはその人次第。人に言われる事ではない。
どうすれば良かったかとか、どうすべきだとかを言うことはできない。
でも、妊娠中無理せずに、それでも充実したワーキングママ生活を送るにはどんな風に仕事と関わっていけば良いのか
悩めるママ達に寄り添い、一緒に答えを見つけるお手伝いがしたい
助産師の勉強をすることで、妊娠中の身体の事がもっと知りたい。
そうしたら、働く妊婦さん達に、どんなことに気を付けたらよいか伝えられる。
やっぱり助産師になりたい
しかし、長年勤めた会社を辞めるというのは大きな決断。
収入を無くすことへの不安、会社員という立場を捨てる勇気、仲間と別れる寂しさ
なかなか最終決断はできずに過ごしていました・・・
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