めのこの啓示⑥

まくの明子

  ◇◇◇
 坂上田村麻呂もまた、岩手の蝦夷たちと同様に、アテルイとモレの斬首を中々受け入れられずにいました。
 田村麻呂は、アテルイとモレの処刑後、胆沢に赴いていました。
 心が枯れ果て、よたよたと北上川のほとりへたどり着きました。そこで、顔を洗おうと水面を覗いたその時でした。己の顔が透き通った水鏡にくっきりと映り出されたのです。
 その瞬間、  田村麻呂は目を見張りました。
「ああ、なんてことだ! 私の顔が蝦夷に見える。やはり私の中には蝦夷の血が流れていたのだ! それなのに……数え切れないほどの蝦夷の血を流してしまった……」
 坂上田村麻呂は、大粒の涙を流し、人目もはばからず泣き崩れてしまいました。
「うおー!、アテルイよ、モレよ、許しておくれ! 沢山の蝦夷たちよ、許しておくれ! 本当に申し訳ないことをした! 心から謝るぞー」

   ◇◇◇
 その後、朝廷には蝦夷たちの金が届くことはありませんでした。
 朝廷にわだかまりを残した蝦夷たちは、岩手の地方官人、藤原氏に金を横流ししていったとされています。藤原郷は岩手で栄えていくこととなります。

 アテルイ、モレの斬首により蝦夷征伐に終止符が打たれたものと思われましたが、体調不良で退いた坂上田村麻呂に変わり、腹心だった文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が征夷大将軍となったことから、予想外の展開をみせていきます。
 なんと文室綿麻呂は、アテルイ引退後、岩手最北に作られた城柵の志波城よりも、さらに北に攻め入り、蝦夷討伐を続行したのでした。
 このことは、青森県南部と津軽に住んでいた蝦夷たちに、多大な脅威を与えることとなりました。
 岩手でただ一つ残された、アテルイと坂上田村麻呂との約束の地、遠野も、いつ文室綿麻呂に攻められるかわからない状況となりました。
 文室綿麻呂は北上し、北の蝦夷をことごとく殺戮をして征伐していきました。
 それは坂上田村麻呂よりもさらに残酷で、人を人とも思わないやり口でした。

 いよいよ蝦夷討伐軍が岩手北部から、青森南部へ攻め入ってきました。
 蝦夷たちは否応なく殺戮され、酋長などの力のある者は、遺体をばらばらにされ、その地に埋められ、その上に鳥居を立て、封印されていきました。
 文室綿麻呂は、北の蝦夷たちを「戸」によって封印することを繰り返していきます。
 「戸」のつく名称は、蝦夷達の封印の名残と言われています。一戸、二戸、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸などはその名残です。

   ◇◇◇
 八〇七年、メノコ館のメルクオモナガ酋長は、相馬の皆と、岩手からの移住者を集めると告げました。
「ついに、文室綿麻呂たち朝廷軍が北の大地に侵入してきた。蟻を潰すがごとく蝦夷たちを征伐しているそうだ。間もなく南部から津軽へやってくるだろう。我ら津軽の蝦夷たちも散り散りばらばらになるであろう。私と共に戦える者だけ相馬に残ってくれ。遠くまで行けない者と相馬に残りたい者たちは山奥の洞窟に隠れておくれ。そして、岩手の者たち、女、子供、若者たちは、シャクシャインと共に北の大地を目指してくれ。シャクシャイン、ついにこの時がきたよ。お前は皆を連れて、北の大地を目指すのだ。相馬の蝦夷たちの皆殺しだけは避けなければならぬ。さあ、翌朝までそれぞれの道を決めておくれ」
「いやだ! ぼくはもう二十歳になった。メルクオモナガ酋長と共に戦うよ。父さん、母さんも残るならなおのこと」
「お前は父さんのように狩りはうまくはない。母さんのように、薬草に長けていない。虫も殺せないぐらい優しいお前は、殺し合いなどできるわけもない。お前は皆を引き連れ、北の大地へ行き、相馬と岩手の蝦夷の血を残しておくれ。それが父さんからの最後の願いだ」
 シャクシャインは泣き崩れました。
「シャクシャイン、おまえはとても優しい子だよ。いつも皆のことを考えているから誰からも慕われる。北の地へ逃げ延び、笑いの絶えない村を作るのよ。相馬のことは心配しないで。メルクオモナガ酋長、母さんと父さ ん、皆で守り切るよ」
 母さんは、しっかりとシャクシャインを抱きしめました。
「いやだ、やだ! 父さん母さん!」
「さあ、シャクシャイン、朝廷軍の足跡が津軽に迫ってるぞ。泣くな! このことは天からの定めだと思うのだ。明日の早朝には皆を連れて発つのだ」
 メルクオモナガ酋長が、泣いているシャクシャインを怒鳴りつけました。
 こんなにも怖い酋長は始めてでした。
 鷹が三羽、シャクシャインの真上を舞い始めました。まるで道案内の準備はいつでも整っていると、知らせているようでした。
「シャクシャインについて北の大地に行く者は、明日、日の出と共に発つのだ」
「はい、メルクオモナガ酋長」
 シャクシャインについていく者たちが答えました。
「森の洞窟に逃げる者は、野草と山に長けているアベナンカが責任を持って、誰にも見つからない安全な洞窟へと連れていってくれる。そこには、相馬が静かになるまで隠れておくれ」
「はい、メルクオモナガ酋長」
 アベナンカが、真剣な顔で答えました。
「私と共に残る者は、弓矢の準備をしておくれ」
「はい、メルクオモナガ酋長」
 イソンノアシと、相馬と岩手の弓矢の名人たちが答えました。

 その夜、メルクオモナガは、蝦夷たちの幸せを祈り、これが最後となる覚悟で、地天女と交信を交わしました。
「地天女、ここ数日中に、相馬まで文室綿麻呂軍がやってくるだろう。何もこちらから朝廷を攻めたわけでもないのに、どうして津軽まで攻めようというのか。文室綿麻呂は我ら蝦夷を蟻をつぶすがことく踏みつぶしていきたいとみる。地天女、遠野はどうだい?」
「メルクオモナガ、相馬と遠野は運命共同体だ。いくら、遠野がアテルイと坂上田村麻呂との約束の地であろうが、相馬を責めるのであれば、文室綿麻呂は遠野にも攻めてくるであろう。文室綿麻呂は手柄を立て位をもらいたい、その一心のやつだ。遠野は取り残された陸の孤島だよ。遠野にはどこまでも続く深い洞窟が一つある。皆をそこへ逃そうと思う」
「地天女、互いに最後まで天の祝福の元、蝦夷の誇りを持って守りきろうぞ。いつかきっと、平和な時代に再会しよう」
「メルクオモナガに幸あれ、天の祝福の元、それぞれの地を守りきろう。平和な時代に再会できることを楽しみに! 蝦夷たちにカムイの祝福を」
「地天女に幸あれ、カムイの祝福を」
 二人は、決して涙を流しませんでした。再び平和な時代に再会できることを信じて。

 日の出と共に、シャクシャイン、女、子供、北の大地に向かいたい人達、岩手の蝦夷たちご一行は、メルクオモナガ酋長の前に並びました。
 シャクシャインが決心したのか、力強くいいました。
「メルクオモナガ酋長、どうぞご無事をお祈りいたします。北の大地へ行くことをお許しください」
「シャクシャインは北の大地へ行くことは、天のお告げで言われていたことだ。何の問題はない。私はここに残り、最後まで皆を守る。相馬と岩手の皆と、私の娘、ピリカもよろしく頼む。北の大地に着いたら力強い大地のエネルギーでピリカも天と地と繋がることができるであろう。皆の無事を祈る!」
 一人一人、メルクオモナガ酋長としっかりと抱き合い、お別れの挨拶を交わしました。
「津軽半島の竜飛崎についたら、翡翠の曲玉をそこの酋長に渡しておくれ。メルクオモナガからだと伝え、大きな船を出してもらいなさい。そして、間もなく朝廷軍がくることを知らせ、一緒に北の大地に渡ることを勧めておくれ」
「わかりました。相馬のことは絶対に忘れません」
 力強くなったシャクシャインは、もう泣き虫シャクシャインではありませんでした。
「わかっておるよ。さあ、急いで!」
 メルクオモナガは、シャクシャインを優しい笑顔で抱きしめました。
 鷹が三羽くるくると上空を舞うと、北の大地へ向かうシャクシャイン御一行の先頭を行きました。
 シャクシャインは涙をこらえ、後ろを振り返らずに、皆を引き連れて北の大地へと旅立っていきました。

 その頃、猿賀あたりまで朝廷軍がやってきていました。
 メルクオモナガは、祈りのチセにこもると、猿賀に雷を轟かせ、大雨を降らました。
「ピカッ、ゴロゴロゴロ」
 それは力強く光り轟き、どんな強人でも足がすくんでしまいました。
「なんなのだ、この突然の雷雨は!」
 文室綿麻呂率いる軍は、猿賀から一歩も先に進めずに、数日の間、足止めをくらってしまいました。

 その間に、アベナンカは、老人や病気の者、相馬の地に残りたい者たちと、ずっと山奥の、相馬の者しか知り得ない洞窟へと向かいました。相馬の者でも数日はかかる誰にも知られていない洞窟です。
 いくらしつこい文室綿麻呂でも、ここまでは追ってこないはずです。

 シャクシャイン一行も、文室綿麻呂が猿賀に留まっているすきに、蟹田まで抜けきることができました。

 メルクオモナガは、毎日のように祈りのチセにこもり、神通力を使って、天啓をもらったり、気象を操ったりしました。
 津軽各地の蝦夷たちは、とにかく勇猛果敢で、抵抗が強く、彼らは、日中は山村に隠れ、夜になると野獣のように素早く襲いかかっていきました。
 猿賀から移動を再開した、文室綿麻呂率いる軍は、相当手こずりましたが、数に物言わせ、屈強な山伏が先頭で槍を振り回し、まずは阿蘇部の森が討ち取ってしまいました。次に、手長足長酋長のいる白神岳を討ち取ります。
 津軽各地の蝦夷たちは順を追って、文室綿麻呂に滅ぼされていきました。

 その間に、アベナンカたちは無事山奥の洞窟にたどり着くと、野草や山菜、食料ひと月分ほどを洞窟の中に貯蔵していきました。

 一方、シャクシャイン達は、三羽の鷹に先導されて、北の大地に行きたい人々、女、子供、若者と、岩手の蝦夷たちと共に相馬を出て一週間ほどして、ようやく竜飛崎へ到着しました。
 シャクシャインは、竜飛の酋長にメルクオモナガの伝言を伝え、翡翠の曲玉を渡しました。
「おー、メルクオモナガよ、ありがとう。相馬の皆さんよくぞおいでくださった。ここも危険だ。私たちも共に北へ渡るぞ! 相馬の皆たち、今すぐ船に乗ってくれ! 朝廷軍がやってくる頃にはもぬけの殻になっているだろう! はっはっはっ」
 大きな漁船三隻に、相馬の蝦夷と、竜飛の蝦夷が乗り込んでいきました。
「三回往復すると、全員渡りきれるだろう。先にいってらっしゃい!」
 竜飛の酋長が手を振って見送りました。
 シャクシャイン一行と鷹三羽は、ついに津軽海峡を渡り、北の大地を目指します。

「ピカッ、ゴロゴロゴロ」
 相馬の大地に稲妻が轟きました。
 ザッザッザッザッ。
 ついに、文室綿麻呂率いる朝廷軍が相馬へ足を踏み入れました。
 突如、霧が立ちこめ、朝廷軍は方向を見失ってしまいました。
「ピカッ、ゴロゴロゴロ」
 再び、空に大きな雷鳴が響き渡り、突風が巻き起こり、朝廷軍に襲いかかりました。
「この相馬の地には、化け物が住んでいるぞ!」
 朝廷軍たちが恐れおののいていると、
「どこが化け物だ。それはお前らだ!」
 天から声が轟きました。
「ピカッ、ドッシーン」
 その瞬間、彼らの目の前に、雷が落ちてきました。
 メルクオモナガは次に土砂降りの雨を振らせました。
 朝廷軍は恐れをなし、文室綿麻呂と山伏を残して、相馬の地から逃げていきました。
 相馬には数日間暴風雨が続きました。相馬以外はからっと晴れたよい天気です。
 陣を立て直した文室綿麻呂たちは、山伏を先頭に、相馬の地に再び、踏み入ってきました。
「メルクオモナガ酋長、お体は大丈夫ですか?」
 イソンノアシが、長いこと全身全霊をかけて気象変動を繰り返しているメルクオモナガに心配そうに聞きました。
「イソンノアシありがとう。シャクシャイン一行が竜飛崎に着いて、船で北の大地に向かってる。竜飛の皆含めて北の大地に渡りきるまであと数日は必要だ。わたしはやりきるぞ」
 メルクオモナガは、力を振り絞り、嵐を呼び起こします。
 文室綿麻呂たちは、荒れ狂う暴風雨に阻まれて、またもや進むことができませんでした。

 同行していた山伏がついに動きました。
 山伏は、びしょ濡れになりながらも、五鈷杵を握り懸命に真言を唱え、加持祈祷を始めました。
 メルクオモナガと山伏との直接対決です。
 メルクオモナガも全身全霊かけて天に祈ります。
 相馬の上空には、嵐と雷どちらのものかがわからなくなり、バチバチと激しく火花がぶつかりました。
 メルクオモナガはイソンノアシたち、相馬の戦士に告げました。
「イソンノアシ、そして皆、お前たちの弓は朝廷軍の汚れた血で汚してはならない! 山の洞窟で待っているアベナンカたちを守るために使え! さあ、行くのだ!」
「メルクオモナガ酋長! 私は最後まで酋長をお守りします!」
「いや、だめだ! くだらない血で汚すな。お前たちは相馬の皆を守り抜け! そしてまた相馬の地へ戻ってくるのだ」
 メルクオモナガは、そう言うと、イソンノアシたち男たちを山奥へと吹き飛ばしてしまいました。
「メルクオモナガ酋長! あーーー」
 イソンノアシたちは、涙なのか嵐なのかわからずに、全身ぐっちょぐちょになってアベナンカたちのいる洞窟へと飛ばされていました。

 その後、山伏の祈りが相馬の山奥に響き渡りました。
「二体の龍神が空を暴れまわっているぞ!」
「ギャッ!」
 白龍が黒龍にかまれました。
 メルクオモナガの雷雨が破られた瞬間でした。
 メルクオモナガは、シャクシャイン一行が無事、北の大地へ渡りきったことを見届けると、安堵の微笑みをうかべました。
 そして、メルクオモナガは、目をつぶったまま、山伏と文室綿麻呂に取り囲まれました!

 メルクオモナガは突然カッと目を見開き、文室綿麻呂たちにいったのです。
「川へ行けば魚がいる。山にはシカやクマや鳥がいる。山菜や木の実もある。カムイを尊ぶわれらを、なぜ、大和は征伐しようとするのだ。鬼でも野蛮でもない! 天の神よ教えてくれ! どうして私たち蝦夷を奴隷にしたり殺したりするのだ! 文明の名の元に自然のカムイを壊してよいものか! きっとそのむくいがお前らに帰っていくであろう。私達のカムイが笑う時がいつかくる。その時まで私は地の中に眠っているぞ」
 メルクオモナガは、相馬の皆に頭を下げると、無念の涙を流しました。
 そして、相馬の泉が湧き出ている清泉という場所で、文室綿麻呂によってメルクオモナガは首を切り落とされました。

「ドッシーン!!」
 地天女の屋根上に、大きな物音が響きました。
「メルクオモナガ……」
 地天女はメルクオモナガの死を察し、ほろほろと涙を流しました。

 文室綿麻呂は、メルクオモナガの魂の再生を恐れ、四方を石で固めた中に葬り、上に押さえの大石の敷石を何枚も重ね置き、石の戸によって封印してしまいました。
 その地には、鳥居が建てられ、石戸神社という名が付けられ、メルクオモナガ酋長は石戸権現として祀られました。

「鷹たちよ、竜飛の皆よ、ありがとう! 北の大地よ、こんにちは!」
 シャクシャインたちは、ついに北の大地を踏みしめました。
 北の大地は、空も山も大地も無限に広く、日本列島とはまるで違い、異国に来たかのようでした。
 相馬と竜飛の皆は、歓喜に溢れ、北の大地を駆け巡りました。

 津軽半島の先、竜飛崎に着いた文室綿麻呂が、悔しそうに叫びました。
「くそっ! 一足遅かったか!」
 津軽海峡には、三回目に乗り込んだ竜飛の蝦夷たちが、文室綿麻呂たちに向かって、船から笑って手を振っていました。
 竜飛崎には船が一隻もなく、朝廷軍はなすすべもありませんでした。

 全員揃うと、鷹三羽は、シャクシャイン一行と竜飛の蝦夷たちを大きな湖へと導きました。
 そこは、豊かな野草と動物たちの楽園でした。湖には、何種類もの野鳥がいて、たくさんの魚たちが泳いでいました。
 誰にも汚されていない、きれいなままの自然がそこにはありました。
 シャクシャインたちはその地に村を作りました。田を耕し、相馬と岩手と竜飛の蝦夷たちの幸せの楽園が北の大地に完成しました。

 一方、山の洞窟へ逃げたアベナンカ達と、後から合流したイソンノアシ男たちは、あれから一週間して相馬の地へ戻ってみました。
 一番に、メルクオモナガ酋長が祀られていた石戸神社へ手を合わせ、イナウを捧げ、すっかり荒れ果てた相馬の地を立て直していきました。
 その後、薬草売りをしたりして津軽の地に根付いていくことになりました。

 その年の、ススキが金色に染める頃、遠野のススキがザワザワと音を立てました。
 ただ一つだけ、岩手で取り残されていた遠野の蝦夷たち。
 ついに文室綿麻呂が岩手まで戻ると、アテルイ、田村麻呂の約束を踏みにじって、侵略してきたのです。
 地天女もまた、気象を操り、時間を稼いでいる間に、遠野の皆、一人残らず、どこまでも続く洞窟へ逃がしてしまいました。
 それから間もなくして、地天女は文室綿麻呂に捕らえられ、自然の中に溶け込むように、永遠の静けさの中へと消えていきました。
 決して侵略者の手に染まらなかった東北の蝦夷たち。岩手の遠野と津軽の相馬。この不思議な赤い糸は今も尚、異空間で繋がっているということです。